シャクヤクとボタンそしてユリの花に想うことを

2021/07/29

6月7月の梅雨時期は、雲に覆われることの多く、時おり射す陽の光が恋しいものです。しかし、梅雨明けを迎えることで、今度はそのギラギラとした陽射しが「暑い暑い」と恨めしく思うもの。そのような我々の気持ちをよそに、其処彼処で貴婦人の如く微笑みかけてくれている花があります。凛と花咲く姿は、得も言われぬ風格さえ感じてしまうもの。日本人には馴染みの花、ユリです。画像は日本原産の「ヤマユリ」です。
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ユリは北半球のアジアを中心にヨーロッパやアメリカ大陸にも自生し、多種にわたります。その中で、15種ほどが日本に自生しているといい、その内の5種が日本固有種です。ヨーロッパにも12種類ほどが自生しています。その中でも代表的なものが「ニワシロユリ」、別名を「マドンナリリー」と呼ばれているものです。テッポウユリに似ていますが、花は小ぶりです。この白ユリは、冴える白さが聖母マリアの純潔の象徴とされ、キリスト教の宗教画にたびたび登場しているばかりか、バチカン市国の国花になっています。古来よりキリスト教の祭事には、この「ニワシロユリ」が欠かせませんでした。
ところが、19世紀に「テッポウユリ」がその地位を取って代わることになったのです。なぜ、日本原産の「テッポウユリ」が?
ヨーロッパに持ち込んだ人がいるのです。1829年の大事件で日本を追放された偉人、「シーボルト」です。彼がヨーロッパに持ち込んだ数多くのコレクションの中に、「テッポウユリ」の球根があったのです。多くのヨーロッパ人が、異国の地よりもたらされた「テッポウユリ」に魅了されたようです。英名では復活祭(イースター)にちなみ、「Easter Lily (イースター・リリー)」と呼び、キリスト教の祭事には欠かせない花となったのです。
なにもユリを絶賛しているのはヨーロッパばかりでありません。シーボルトを魅了した固有種を有する日本もまた、ユリの美しさに魅せられているのです。いつから語られるようになったのでしょうか、気品と美しさを誇る3つの花になぞらえ、美しい姿と所作を持ち合わせる女性をこう表現しています。きっと耳にしたことがあるのではないでしょうか。
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立てば芍薬(しゃくやく) 座れば牡丹(ぼたん) 歩く姿は百合(ゆり)の花

シャクヤクはアジア大陸北東部が原産で、ボタンの仲間ですが、ボタンが樹であればシャクヤクは草です。花は酷似しているのですが、すらっと伸びた茎の先に、美しい花を咲かせます。「立てば芍薬」とは、良く言い表している気がいたします。しかし、シャクヤクはこれでは終わらないのです。

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フランスの人気ブランドのスキンケア商品に、「Pivoine Flora(ピヴォワン・フローラ)という名のものがあります。「Pivoine」は英語では「Peony(ピオニー)」です。美しい妖精「ピオニア」が他の女神の嫉妬を買い、魔法をかけられ一輪の花に変えさせられた。ここに、「ピオニー」の花が誕生しました。だからこそ、美しい花の姿はもちろん、花びらが響き合うようにはなたれる香りは、何人をも魅了して止まないのだと。
さあ、もうお気づきでしょう。この「Pivoine Flora(ピヴォワン・フローラ)」こそ、「シャクヤク」のことです。この花の香を採用するということは…「le Nez(ル・ネ)」と呼ばれるプロの調香師が認める、心穏やかになる癒しの香りなのでしょう。
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「なのでしょう」とは?そう、自分はまだシャクヤクに出会えておりません。いったいどのような香りなのかとBenoitでお話していたら、木村様より花の画像が届きました。掲載している写真がいただいたものなのですが、さすがに画像から香りははなたれません。このお楽しみは来年まで持ち越しのようです。

日本人にとって花とは桜のことであり、その想いは一入(ひとしお)です。隣の中国はというと、西北部が原産地というボタンへの想いが他の花の追随を許しません。彼の国では、「百花の王」と称され、唐代の詩人である王叡(おうえい)が、「牡丹妖艶亂人心 一國如狂不惜金 (牡丹妖艶にして人心を乱し 一国狂するが如く金を惜しまず)」とまで詠っています。「不惜金」であり「不借金」ではないのでご注意を。
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大輪の豪華絢爛に花咲くボタンの花に、狂喜乱舞したのでしょう。百獣の王「獅子」とボタンの花の柄は、「唐獅子牡丹」と呼ばれ、当時の磁器や織物に描かれています。今でいう「美女と野獣」ともいうべき組み合わせが、ここに誕生しているのです。
日本での開花時期は、もちろんサクラ同様に地方によって差があり、関東では4月半ばから末にかけてのこと。花咲く時期が季語となることを鑑みると、ボタンの季語は晩春と思うのですが…この豪奢な咲きっぷりが、春ではなく夏にこそ相応しいと古人は考えたのでしょう。季語は「初夏」を指し示します。蕾(つぼみ)を意味する「牡丹の目」は初春、蕾が開きかけた「狐の牡丹」は晩春のこと。
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秋の彼岸には、「おはぎ」をお供えすることで、五穀豊穣と家族を見守ってくれているご先祖様への感謝の意を伝えます。春の彼岸では、「ぼたもち」をお供えすることで、五穀豊穣と家族皆が息災であることをご先祖様にお願いします。この両季節の「あんころ餅」は、その季節を代表する花を使って名付けられました。秋は「秋の七草」の筆頭に上がる「萩(はぎ)」の花から、「お萩」。春は「牡丹餅(ぼたもち)」と。
「萩」はマメ科の花らしい楕円形の花びらが特徴。「牡丹」が豪快なまん丸の花の形。これが、両季節のあんころ餅の形に反映しています。さらに、幸せを呼ぶ赤い色の小豆(あずき)は、赤飯を代表するように祝い事には欠かせません。その小豆も、収穫したての外皮が柔らかいものは、そのまま「粒あん」となり「お萩」へ。ながらく時を過ごして乾燥した小豆は、漉すようにして「こしあん」となり、「牡丹餅」へ。諸説はあるかと思いますが、ついつい「なるほど」と頷いてしまいます。
でも、なぜ「桜」でなかったのでしょうか?
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日本の古神道は、我々が何かを清らかなものをそこに感じた時、そこに神が宿っていると考える。木や石であったり、山そのものが御神体となります。日本の神々は何も語らない、我々も現世のご利益(ごりやく)を求めることはありませんでした。ただ清め祀(まつ)ることで何かを感じ取る、今でいうパワースポットらしきもの。

しかし、稲作が定住をもたらし、日本が国家として誕生したことで多くの人との接点が生まれた時、人々は自分が何者なのか?どのように人生を全うすべきなのか?死とはどういうことなのか?などの疑問がわくも、答えが見つからない。そのような中で、インドから中国へ移りゆきながら発展してゆき、朝鮮半島を経由して、「言挙(ことあ)げ」してくれる「仏教」が日本に渡ってきました。「言挙げ」とは「論じる」という意味で、説法が当時の知識人にどれほどの感銘を与えたことか。桓武天皇は東大寺に奈良の大仏を建立し、救いをもとめたということが何よりの証なのではないでしょうか。
日本人に浸透していった仏教の中では、極楽浄土のある地は「彼岸(ひがん)」で、現世が「此岸(しがん)」というようです。彼岸は、東のはるか遠くにあるといい、太陽が真東から上る「春分」「秋分」の前後3日間、計7日間を「お彼岸」としたのです。「したのです」とは、この「お彼岸」の発送は日本独自のもので、中国にも発祥の地であるインドにもありません。
日本人が創作した「お彼岸」にもかかわらず、仏教的な要素が強いからだと考えた。か時代は別かと思いますが、中国から持ち込まれ、豪奢の花を彼岸の時期に咲かせるボタンが最適だと考えたのでしょう。だからこそ、春のお彼岸は「桜餅」ではなく「牡丹餅」だったと思うのです。

それぞれの花が、美しく人々を魅了して止まないことを紹介させていただいたところで、今一度このことわざを読み返していただきたいです。姿はもちろん立ち居振る舞いも美しい女性への賛辞を、心地良いリズムを奏(かな)でてくれていると思いませんか?このことわざは江戸時代に生まれたといい、江戸っ子によって伝播されていったようです。
立てば芍薬(しゃくやく) 座れば牡丹(ぼたん) 歩く姿は百合(ゆり)の花

この3つの花は、同じ時期に咲くことがありません。シャクヤクが初夏で、ボタンは晩春、ユリは品種が多いので花期は長く、仲夏ばから初秋あたりまで。ということは、「ボタン→シャクヤク→ユリ」という順です。しかし、ことわざでは、「シャクヤク→ボタン→ユリ」とくる。
すらっと伸びて上向きに豪奢な花を開くシャクヤクから、低木であり大輪の花をもたげるようなボタン、凛とした高貴な雰囲気をはなつユリの花。「立つ➔座る➔歩く」のそれぞれに、花のイメージを合わせると、ことわざの順になる。どういう意図があってこの順になるのか定かではありません。ただ、声に出した時に心地良いリズムを奏で、言葉それぞれが美しい響きをはなつということは間違いありません。

さて、花開く順にことわざを並べ替えてみると、「座れば牡丹(晩春) 立てば芍薬(初夏) 歩く姿は百合(仲夏~)の花」となります。これ、古人からの我々へのメッセージであるような気がするのです。「座れ(動くな/耐え抜け)→立て(動く準備)→歩け(動きだせ)」と。
未曾有のコロナウイルス災禍によって、我々の生活は一変いたしました。多々ご意見はあろうかと思いますが、皆が皆、初めての経験であり、「神が与えし人類への試練?」と言えば聞こえは良いですが、言挙げする神でも正しい道筋を我々に諭してはくれませんでした。
未知なる見えないウイルス災禍なために、我々は真帆片帆と「終息」という目的に向かって順当に進むことができませんでした。それでも、右往左往と完璧ではないにしても、考えうることを1年以上にわたり続けてきたのです。いまだ「収束」の見えない中でありながら、これほどの期間耐え抜き、今生きているということは自らの努力の証なのではないかと思っていいのではないでしょうか。
まだまだ不安材料はあるものの、ワクチン接種という希望の兆しもあります。今まで、座るが如く耐え抜いてきました。そして、厳しい状況に変わりませんが、春過ぎるあたりに世相が動きだしたような感があります。災禍を甘く見ての無謀な行動はもちろんご法度(はっと)ですが、一歩踏み出す時がきている気がいたします。その時というのは、「ユリ花笑う時」であると、古人は教えてくれているのかもしれません。さて、皆様はどう思いますか?
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夏も盛りとなるころ、オニユリが凛々(りり)しい姿を我々にみせてくれます。ユリが「歩け」であるならば、オニユリは睨(にら)みを利かせながら「走れ」といっているのでしょうか。ついつい加筆してしまいました…

座れば牡丹 立てば芍薬 歩く姿は百合の花 はやくはやくと急(せ)かす鬼百合