「五月雨」をどうして「さみだれ」と読むのでしょう?

2021/05/18

おぼつかな をちかたびとや いかならん をやみだにせぬ 五月雨のころ  弁乳母(べんのめのと)
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弁乳母は、三条天皇の皇女である禎子内親王の乳母であるという。疎遠になっている遠方人(をちかたびと)は無事息災であろうか?「をやむ」とは「小止(おや)む」と書き、「しばらくの間」という意。止むことなく降り続く五月雨の頃、軒(のき)や庇(ひさし)から、絶え間なく滴る雨粒を見るほどに、心配は募るばかり…そういう歌意なのだろう。
彼女が活躍していたのは11世紀のことで、治水技術が今ほどに発達していたわけもなく、長雨によって、川の水が溢れることも多々あったかと思います。そして、「遠い」という感覚は、今の時代とはあまりにも違うもの。ましてや、乳母としての務めがある以上、自由ままならず、隣町でさえ「遠い」と感じたかもしれません。彼女は、誰の安否を心配していたのでしょうか?
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さて、「五月雨」とは、梅雨時期の長雨のことを指し示すのですが、5月に梅雨とは少し気が早いのではないか?と思いつつも、不思議なほどに違和感なく受け入れている面白い言葉です。さらに今では、この雨の降り方になぞらえて、とぎれながらも何度か続けて行う様を、「五月雨式に」と書き記しています。
この「五月雨」は相当な難読漢字であるにもかかわらず、「ごがつあめ」と読む方が少ないほど我々日本人に周知されています。というのも、漢字の語源辞典を紐解いてみても、「五」に「さ」の読みはありません。太陰暦を使用していた古代中国では、5月を「皐月」と書きます。「皐」の字に「さ」の読みはなく、これは「こうげつ」と日本では読みます。不思議だと思いませんか?
 関東の梅雨入りは、平年6月初旬です。明治時代に旧暦(月の周期)から新暦(太陽の周期)へ移行する際、もちろん1か月以上もの誤差が生じました。太陽暦では閏(うるう)年には2月29日の「一日」ですが、太陰暦では「一か月」が誕生します。しかし、六月雨と書き換えずにそのまま五月雨を残した…これは、漢字が意味する「5番目の月」というよりも、「読み」に大切な意味があるからなのでしょう。
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古人は、田の神を指し示す音を「さ」としていたようです。農耕民族である日本人にとって稲作が最も重要視されてきました。「お米」が多くの人を養うことのできた食材であり、食の根幹をなす。長年続いてきた税金が、年貢であったことがなによりの証ではないかと思います。
その「さ」に、「すわる場所」を意味する「座(くら)」という音が合わさる、「さ・くら」です。、田の神が山より舞い下りる場が「さ・くら」なので、その開花を目安に田起こしを行いました。しかし、東北の方では桜の開花が遅いため、コブシの花が田起こしの目安となっています。彼の地ではコブシを「田打ち桜」と呼んでいます。日本人が、桜の開花を待ち望む理由は、古人より連綿と受け継がれてきた「田の神」信仰が、知らず知らずにDNAに刻み込まれているからなのでしょうか。田の神が舞い降りたことへの感謝の気持ちと、豊穣を祈念する「お祭り」こそ、「花見」のルーツなのだといいます。
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そして、収穫の源でもある、田植えのための稲を「早苗(さ・なえ)」と呼び、田植えを担う女性を「早乙女(さ・おとめ)」と言います。過ぎ去りし五月五日は「端午の節句」でした。今では三月三日の「ひな祭り」と対をなす男の子のお祝いとして定着したのは江戸時代になってからのこと。かつては女性のための日でした。
今では、田植え機の登場で、過去とは比べ物にならないほどスピーディーになった「田植え」ですが、かつては手植えであり、途方もない時を要しました。家族はもちろん、親族や、村仲間も含め、一丸となって取り組まねばならなかったはずです。そして、この重労働の主たる担い手が、前述した「早乙女」です。
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実りをもたらす神聖なる「田」に、田の神の息吹のかかる「早苗(さ・なえ)」を「早乙女(さ・おとめ)」が手植えをしてゆきます。そこで、田植えを前に「穢(けがれ)をおとす」ために、早乙女たちが身を清め「何もしない」日が必要になる。それが、五月五日でした。この日は、村中の田植えの担い手である、女性たち「早乙女」は、家事など一切何もしてはいけない安息日であり、その代わりに、男共があくせく働かなければいけない日なのです。まさに、「女性天下の日」だったのです。そして、いよいよ翌日から「田植え」が始まります。
五月は、大いなる実りを得るための大切な「田植えの月」であるということ。「早苗月(さ・なえづき)」ともいわれますが、これほど重大イベントであるからこそ、余計な言葉を省き、「さ」の月と命名した。その時、旧暦の中で5番目が、その「さ」の月に当たった。だから五月を「さ・つき」と読みようになったのではないか。もちろん、異論諸説があるかと思いますが、自分のように専門知識が無いからこそ、思いあたるがままの推測です。
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「水田」というほどに、稲作には豊富な水資源を必要とします。古人は、この水資源確保のために、果敢に灌漑に挑戦し続けてきた歴史があります。平野一面の田園風景とするには、高度な灌漑技術が求められ、昔々の日本において、皆がこの技術を習得できていようはずもなく、多くの田は「水は高き所から低き所へ流れる」という理を利用するために、山間(やまあい)に開墾されてゆきます。だからこそ和歌の中では、「山田」と表現しています。
田起こしの後に、田に水を引き入れ田植えを行います。もともと水のない田を水浸しに、それも全ての田を浸さなければならいことを考えると、かつては山間を流れる清流はもちろん、田植え時期に降り続ける大量の雨もまた貴重な水資源。まさに恵みの雨であったはず。
そこで、古人は軒先を滴(したた)り続ける様が「水垂れ」であるとし、「さ」の月に振り続ける長雨のことを「五月・水垂れ」と言い当て、「さ・みだれ」と音にしたのではないかと思うのです。そして「五月雨」に転じていったのではないか。これまた推測の域を抜けませんが、なかなか説得力があると思うのです。さて、皆様はどう思われますか?
暦という数字の羅列に束縛されている我々と違い、自然の機微を見事なまでに捉える自生する草木たち。厳しい自然界の中で淘汰されぬよう、まさに命にかけて手に入れた能力なのでしょう。まだ10年ほどですが、季節の話を書いているうちに感じたこと。ドクダミの花が、五月雨の時期が近づいていることを教えてくれています。まもなく梅雨だ!と。
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何はともあれ、「五月(さ・つき)」も「五月雨(さ・みだれ)」も、かくも美しき響きをもっていることでしょうか。