桃の花に思うことをつらつらと

2021/04/14

「桃花源記(とうかげんき)」
空
古代中国の王朝である晋から、南北朝時代の宋にかけての時代(5世紀あたり)に活躍した詩人、陶潜(とうせん)が書き記した物語です。武陵(今の湖南省)の一漁夫が俗世間から離れた平和な別天地を訪れたという話。今でいう理想郷を語っているのです。「桃花源」は、「桃源」へと姿を変え、今馴染みの「桃源郷」が誕生です。
この時代の日本はというと、近畿地方を中心に連合したヤマト政権が成立していた古墳時代であることを鑑みると、すでに文章として物語が遺るという古代中国文明とは、いかほどのだったのか。しかし、当時の中国は、五胡十六国時代という争乱期であるため、ならず者が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)していたことは想像に難(かた)くありません。だからこそ桃花源の世界を夢見たのでしょう。
陶潜が想い描く桃花源は、もちろん浮世離れしたものですが、ユートピアのような別世界ではありません。見るもの聞くもの触れるもの、全て変わったものではない。しかし、それぞれが美しい。人々は笑顔で集い語り合い、主人公である漁夫を歓待する。何をもって美しいと感じたのか。
悟りを妨げるのは108にも及ぶ「煩悩(ぼんのう)」だと釈尊は弟子に語る。中でも、「欲」「怒り」と「愚痴」は、「三大煩悩」と呼ばれいます。自分さえ儲かればいい、認められれば良いという「欲」。言ってはいけないことを言う、行動に移すことで引きおこる「怒り」。妬みに恨み、そして憎しみの「愚痴」。全て、大小にかかわらず、人間が引き起こす争いの原因です。
陶潜は、この人心の乱れによる厭世観(えんせいかん)はびこる世界に嫌気がさしたのではないか。遠い遠い別世界ではなく、煩悩を抑え込むことで、和やかな人間関係となり、素晴らしい世界になるのだと考えた。物語の中で、漁夫が再訪を試みるも、桃花源へは辿り着くことはできませんでした。桃花源の世界は、探し求めても見つからない。個々の人間が煩悩を無くすことで導かれる世界なのだ。そう陶潜は我々に説いている気がいたします。
さて、なぜ「桃」だったのでしょう?百花の王「牡丹(ぼたん)」でも良いのではないか?
桃1
古代中国で信じられていた仙女「西王母(せいおうぼ/さいおうぼ)」は、西方にある伝説の山岳「崑崙山(こんろんざん)」を統べる仙女界の最高神です。彼女は3000年に一度花咲く仙桃を育てていた。

花咲き実となったその仙桃には不老長寿の効能があったという。漢の武帝は西王母から、その仙桃を譲り受けたとの故事も遺されています。
これらの伝承から、桃の実は長寿の祝いにつかわれ、枝は不吉を除くといわれていました。「桃弧(とうこ)」は厄災を祓うために桃の樹で仕上げた弓のこと。さらに、「桃符(とうふ)」とは、桃の樹で作った「おふだ」のことで、魔よけのために門の脇に飾るのだといいます。桃は、何か神聖な霊力のある仙木としての役割を担っているのです。
さらに、桃の花が紅色に美しく咲き誇り、すでに咲き終わった柳の樹々は、新緑美しい葉が列々(つらつら)と繁らせた枝を風になびかせる。この「桃紅柳緑(とうこうりゅうりょく)」とは、中国でいう春の美しい光景のこと。
陶潜は、桃に備わる霊的な力と、春の美しい光景が、人々を我に返らせるのではないかと考えた。そして、物語の中で語られる理想郷へと導くため、乱れ切った人々の心を癒すことを期し、「桃花源記」を綴ったのではないないか。彼の切なる願いが込められた物語は、5世紀から人口に膾炙(かいしゃ)し、「桃源郷」という理想郷を意味するようになったということは、個々の心に多少なりとも響いたことの証に他なりません。
桃2
中国が原産という「桃」の樹は、実を食用としてというよりも、何か不老長寿の薬効を含み、百鬼をも退かせる呪力が宿った仙木であるという、古代中国の思想とともに日本に持ち込まれましたようです。
悠久の時の流れを遡り、日本で最初に登場したであろう国家らしき「邪馬台国」。小学校で学ぶ日本の歴史に登場するこの名称を、知らない人はいないのではないでしょうか。いまだ謎のベールに包まれ、いったい日本のどこにあったのかすら、未解決。その有力候補と地として名が挙がるのが、奈良県桜井市周辺。この地で見つかったのが「纏向(まきむく)遺跡」です。
難解な漢字を使う名称だけではなく、不可解な点が多いのがこの遺跡なのです。人々が集まる地だからこそ、文化文明が生まれるもの。しかし、この遺跡には人の住んでいた形跡がなく、まさに古墳群によって形成されたかのような場。そこからは貴重な出土品が多くすべてを鑑みると、ここは祭祀の場であっただろうと。そして2010年、3世紀に掘られたであろう土坑という穴から、2,000個にも及ぶ桃の種が見つかったと発表がありました。このような大量の種が出てくる事例は他にはありません。

桃に邪鬼を祓う力が宿っていると信じられ、その樹や実が、古代祭祀の道具や供物として使われていた。かつて、この場で大規模な神事が執り行われた証ではないのか。今は、歴史ロマンに魅せられた人々が、太古の雄大な夢を想い描きながら集う場所になっているようです。
日本の誕生を書き記した「古事記」によると、黄泉国(よみのくに)にいる愛する妻イザナミノミコト(伊邪那美命)に会いに赴いた夫イザナキノミコト(伊邪那岐命)が、約束を破り妻の変わり果てた姿を目にしてしまう。怒り心頭に発したイザナミノミコトは、逃げるイザナキノミコトを見るも恐ろしい醜女(しこめ)に追わせるも失敗。
そこで、八種(やくさ)の雷神(いかづちがみ)と、1,500にも及ぶ黄泉の軍勢を差し向けました。命からがら、黄泉国の出入り口である黄泉比良坂(よみひらさか)に達したとき、近くに育っていた桃の樹から得た桃の実3つを追手に投げつけることで事なきを得たというのです。ほぼ同時期に編纂された「日本書紀」にも、多少の違いこそあれ、同じようなことが記載されています。
桃3
桃の樹に宿る霊力。今でもこの名残を残しているものが、2月3日に執り行われる「追儺(ついな)」という宮中行事です。我々には「節分の豆まき」の日ですが、このルーツともなる神事だといいます。
季節の変わり目が「節分」、新しい季節を迎える前に今の季節の厄「鬼」を祓うため、「桃の樹の弓で、葦(あし)の矢を射る」というのです。五穀や小豆をまくこともあったようで、これが我々馴染みの節分の豆まきとして今に至るのでしょう。鬼(厄)を退治する(祓う)といえば、我々に馴染みも「桃太郎」の昔話。なぜ桃から生まれたのか?もうお気づきかと思います。諸説あるかと思いますが、このお話は納得していただけるのではないでしょうか。
さらに翌月の3月3日。この日は、皆様ご存知の「ひな祭り」です。もともとは「上巳(じょうし)の節句」といことで、中国から遣唐使によって、この風習が持ち込まれたようです。陰陽五行の中では、「陽(奇数)が重なると陰を生ず」と言われ、霊的な力のある植物の力を借り、邪気を祓おうと考えました。
そういえば、日本の童謡の中に「うれしいひなまつり」という歌があります。歌詞を口ずさんでみてください?「明かりをつけましょ♪ぼんぼりに~♫お花をあげましょ♩」
桃4
「桃の花~♬」です。
旧暦の3月3日であれば、新暦の4月あたりのために、「桃の花」も開花しているでしょう。

ところが、新暦に移行する際に、そのまま3月3日に設定してしまったのです。南の熊本県でも桃栽培をしていますが、さすがに3月3日に桃の花芽はほころびません。ひな祭りに飾るには、枝を切り温室に活けることで、開花を早めているのだといいます。桜の花咲く順番は、「梅」→「桜」→「桃」です。

掲載している桃の花の画像をいただいたのは、和歌山県紀の川市桃山町で、桃栽培を代々続けてきている豊田屋さんです。出会ってから、6年経つでしょうか。毎年、この上なく素晴らしい白桃を、Benoitへ送っていただいております。彼らの桃畑では、すでに桃が大笑いしていました。
列々(つらつら)と咲き誇る桃の花、昆虫たちの助けをかりながら受粉してゆき、3か月後にはたわわに実ってゆきます。しかし、このままでは実が押し合いへし合いする上に、養分の取り合いが起きてしまいます。そこで、開花と同時に彼らが行うのが「摘花(てきか)」という作業です。そして、約90日前後で収穫を迎えます。
なぜBenoitが毎年のように豊田屋さんから桃を購入するのか、「美味しい」という理由以外に、「安心・安全」であるからということ。豊田屋さんの桃栽培を担当しているのは、長兄の豊田孝行さんです。実は現役の医師でもあり半農半医をこなしているのです。彼に、ご職業は何ですか?と伺うと、「桃農家」と言い切ります。そのため、半農半医という語順なのです。
昨今の新型コロナウイルス災禍のこともあり、豊田さんにお話を伺ってみました。以下、昨年に彼からいただいた皆様へのメッセージです。
「日本でのコロナウイルス感染の流行はいまだ終わり見えず、いつまでこの状態が続くのか?不安を抱えながら生活されている方も多いと思います。生活に対する不安、ウイルス感染への恐怖でストレスフルな毎日ではありますが、今回の災禍の中でじっくりと考えていただきたいことがあります。
それは “食” についてです。
私は医師をしながら、農業をしています。まだ完全ではありませんが、肥料、農薬を使わない自然栽培に取り組んでおります。それは、自分が以前に体調を崩した経験、医療現場における病気の方の増加、耐性菌・耐性ウイルスの増加、環境破壊の進行などを考え、できるだけ環境負荷を減らし、農家への負担を減らし、身体にやさしい果樹・野菜を育てたいという思いからきております。
人の身体を作っているのは食物です。
どんなに良い薬ができたとしても、食物が悪ければ免疫は維持できず、ウイルスや細菌に負けてしまいます。また、栄養状態が悪いと精神的なストレスにも弱くなり、気分が沈んだり、眠れなくなってしまったり、落ち着かなくなったり、というような症状が出てきます。最近は、診察をしていて、栄養状態の悪い方が増加していると強く感じます。
食事はバランスよく摂っておられますか?
炭水化物・糖質過多ではないでしょうか?
ファストフード・インスタント食品が多くなっていませんか?
毎日の食品添加物の摂取量はご存知でしょうか?
調味料はどんなものを使っておられるでしょうか?

日々の生活に追われ、忙しい中での食生活はどうだったでしょうか?
今回、こんな時だからこそ、ぜひ今までの食生活、さらに、生活習慣を振り返る時間を持っていただければ幸いに思います。
まずは、健康でいることでなければ、思考も偏ってしまいますので。
食料自給率、少子高齢化、医療制度改革、年金問題…あげればきりがないほど、私達は沢山の問題を抱えています。凹んでいても状況は何も変わりませんので、この機会に皆で考えていきましょう。一人一人の総意でこの社会はできています。目指す方向が同じなら、手を繋いで皆で乗り越えていきましょう。その先に必ずより良い未来がやってくると信じています。
農業の話ではなくなってしまいましたが…(笑)。今年の夏もブノワさんでピーチ・メルバをいただけることを楽しみにしております。」  豊田孝行さんより

折りてみば 近まさりせよ 桃の花 おもひぐまなき 桜をしまじ  紫式部
桃5
詞書(ことばがき)には「桜を瓶(かめ)にたてて見るに、とりもあへず散りければ、桃の花をみやりて」とあります。花瓶に桜を挿し活けるも、すぐに花を散らしてしまう。惜春の想いは募るばかり。庭に目をやると、そこには美しい桃の花が笑っているではないか。折り取り、あなたを花瓶に活けて楽しませていただきます。人の気持ち知らずに、散りゆく桜にはもう未練はありませんよ。
「おもひぐまなし」は、相手のことを考慮しない、自分本位な、という意味です。桜の花は、決して我々のことを無下にしているわけではありません。自然の機微を的確に捉え、我々に季節の到来を教えてくれ、散りゆくのが運命であり、この潔さにも美を感じます。昨今の「おもひぐまなし」とは、新型コロナウイルスでしょう。我々日本人にとって、世界中の人々にとって、無慈悲なまでに「尊い命と時」を奪いとりました。
しかし、嘆いてばかりでは何も始まりません。桃農家の豊田さんの話にもある通り、「食生活の見直し」を図る機会かと思います。「人の身体を作っているのは食物です」、その通りです。しっかりと食べ、よく眠る。食生活を健全にすることで、健康となる。その健康は、我々に正しい思考を与えてくれる。正しい思考なくして、理想の社会などありようわけもありません。一人一人の意識改革が、架空のユートピアではなく、桃花源へ我々を導いてくれるのではないでしょうか。その道しるべとして、「桃の花」が咲いているかもしれません。

三千代へて 生(な)りけるものを などてかは 百々(もも)としもはた 名づけそめけん  花山院(かさんいん)
桃果
3000年に一度、花咲き実を成すのが「桃(もも)」というのに、「千々(ちち)」ではなくてどうして「百々(もも)」と名付けたのでしょうか。おっしゃる通りでございます。