ディオールと世阿弥の守破離

2021/03/02

まるで世界のすべてが止まってしまうかのような風が吹いています。

この風の中で、心に響いてくる言葉がありました。
「強いものが生き残るのではない。環境の変化に柔軟な対応が出来るものが
生き残るのです」。これは進化論を唱えたダーウィンの言葉です。
この逸話を耳にしたとき、ふと思い浮かぶ人物がいました。
ニュールックでファッション界を席巻した服飾デザイナーのクリスチャン・ディオールです。
デビュー当初、彼の発案は異端的な意匠として差別や冷遇を受けましたが、
良き理解者に恵まれ、職歴が10年程のわずかな間に数多くの魅力的な新作を発表し、伝説のデザイナーとして世界に名声を博しました。
そのディオールが、コレクションの発表で来日したときのことです。
彼は観世が舞う能の鑑賞に出かけました。果たして西洋が東洋を着こなせる
のかと、いささか不安もよぎりましたが、ディオールの審美眼は見事です。
彼の心を射止めたものは、きらびやかに着飾った古式ゆかしい有職装束では
なく、真っ白なタビを履いた足の舞い姿に圧倒されたと語っています。
シテの緩急自在に舞う白い足運びが、優美な能装束をなお一層引き立ててい
たという光景への驚きでした。
能
彼は濃厚な色よりも、はるかに明るい色が「白」だと得心し、鮮烈な色彩が
織りなす装束の中で、清廉な余白美に心が吸い込まれたのでしょう。確かに
白い雪も日の光を浴びて銀色に輝きます。その後、ディオールは能から学ん
だ隠れた美を生かし、卓越した作品を次々に発表していきました。

ところで、能と茶道は日本が誇る伝統文化の双璧といわれています。
一見、趣きがまったく異なる別の文化と思われますが、実はそれぞれの芸道
には多くの共通点が存在します。登るふもとの山道は違えども、山頂にたど
り着けば同じ明るい月を眺めるように、目指すところは一緒です。
例えば、足運びで舞うお能に対し、お茶は手運びで舞います。所作での構え
方や呼吸法も同じくしています。最たる酷似は、お能は神と語る道であり、
お茶は茶禅一味と説くように、禅を極める道であるという点です。この神仏
への求道の精神が、能と茶道の根底に潜む共通した奥義となっています。

毎年3月には、奈良の東大寺二月堂で1200年続く「神仏習合」の御水取りがあります。若水と小さな命の花々を神様と仏様に捧げ、森羅万象に世の平安を祈る伝統行事です。芸道でいう森羅万象は科学ではなく、神々が宿る自然界の営みを享受するアニミズムへの旅であり、この領域では私たち人間も神の分身といわれています。つまり、能も茶道も神聖に出会う芸の道なのです。この道は、いかなる知識や技術でも見ることの叶わない感性の世界です。以前、少しお話しした『星の王子さま』は、この純真無垢な感性で物事を見る童心を呼び覚まし、内なる自分に向き合うことを教える物語でした。

さて、室町の能役者の父観阿弥から教えを受けた世阿弥は、芸術論の秘伝を
『風姿花伝』に遺しています。その中で語る【守破離】の精神は芸道や武道
など、あらゆる道の修行者の大きな道しるべとなっています。
古来、禅の修行法に【習絶真】が実在します。守破離はこの理念から派生し
たと伝わります。
なお、守破離の提唱者には諸説あります。440年前(安土桃山)の千利休説、
380年前(江戸)の宮本武蔵や川上不白説などの持論を散見しますが、600年前
(室町)に説かれた能に対する美学の思想原理と芸風の変遷に照らし世阿弥
の萌芽に光を当て本題に戻ります。
守破離
【守】とは、師の教えを忠実に守り技芸の基本をしっかりと体得することを
教えています。書道では、隷書から脱した楷書体(正書)に当たります。
【破】とは、修得した姿形や流派から執着の殻を打ち破り、自らの美意識に
より洗練された創作に精進することを教えています。書道では行書体です。
【離】とは、今まで培った技巧の観念から心をとき離し、未だ見たことのな
い新たな芸風を創造するように奨励しています。書道では草書体の位です。
言わば、赤を白に変えたり、右を左に変えたりするような、単なる改良改善
のリノベーションではなくて、幼虫が蝶に変わるようにダイナミックな変容
革新のイノベーションが「離」の本質だと教えています。
また今も語り継がれる「初心忘るべからず」という戒めも世阿弥の『花鏡』
に遺された訓示です。もとより、初心の教えは守破離の神髄でもあります。
後に千利休も、この教えに習い「基本(規矩:キク)の作法を守り尽して、
破るとも、離るるとても、基本を忘るな」と、お茶の道義を説いています。

この守破離のプロセスは、国を超えて開花の姿を世界で見る事が出来ます。
ディオールの足跡にも守破離の精神が息づいていました。縫製の基本を守り
ながらも独自のデザインを確立し、伝統と革新を融合させた独創的な作品で
世界に夢を届けています。そして、晩年を迎えたディオールは、21歳という
若き助手のデザイン感覚を見極め、Diorブランドの後継を託しています。
その若者がイブ・サン=ローランです。彼もディオールの教えを守り伝え、
後に、人々へ歓喜を呼び起こす華麗なモードの創作に生涯を捧げています。
姿有るものは、やがて長い眠りにつき消えゆく運命にあります。その一方、
姿無きものは永遠に生き続けます。それが普遍の宿命をもつ精神文化です。
美しい日本の能や茶道の伝統文化が、時代や宗教を乗り越えて世界の人々
の心を魅了し続ける理由が、ここに見えてきます。

季節が移ろうように、時代も変革期を迎えています。いかなる環境の変化に
も寛容な心持ちで対応する手立てとして、あらゆる分野に「守破離」の説く
イノベーションが求められているように思えます。
この夢の扉を開けるには、一人の100歩より百人の1歩が大切です。