第32編 小雪の初釜余情

2026/01/14

この度は、新春にちなみ裏千家の家元が主催する『初釜』のお話をすることにいたします。
お慕いしていた、わが茶の湯の師である前家元を偲びながらの、とある初釜の想い出話です。

色鮮やかな紅葉が終わりを告げるころ、京都の街並みは静まりかえり初冬のささやかな風にモミジが一枚また一枚、ゆらりゆらりと舞っています。華やぎを誇った秋が過ぎ去り、冬の気配が忍び寄る京の町は、シーンと息を潜めるかのように落ち着きを取り戻します。
私は、恒例の裏千家の初釜に招かれて京都に出向くことになりました。
儀式に遅れてはならないと、京都洛外の定宿に前泊して翌日早朝に上京区小川町の家元邸へとタクシーを走らせました。いつものように裏千家の兜門が見える少し手前で車を降りて、徒歩で会場へと足を運びます。堀川の風がひんやりと頬をなで、吐く息は白く、霜の降りた路地を踏む足音がシンシンと辺りに広がります。
威光を放つ切妻造りの薬医門風の兜門は、ただの出入り口ではありません。俗世から茶の湯の精神世界へと通じる結界を象徴した通用門です。
明けて正月七日、裏千家の流儀の年明けを告げる初釜が、今日庵で厳かに執り行われます。
門人たちは皆、紋付の羽織袴に身を包み、一糸乱れず整然と兜門をくぐります。静寂な露地に立ち入ると背後の世上の音はふっと遠のき、飛石を歩む一歩一歩が俗念を断ち胸中を鎮めてゆきます。木立の間からこぼれる冬の陽光が、一筋の道を示すかのようでした。
初釜の儀式は総礼から始まります。家元夫妻は上段で座礼し、賓客一同は深々と拝礼します。
寄付には『春光万福』の墨跡が掛けられ、新春のめでたさと、あらゆるものへの幸いをこい願う家元の思いが伝わります。
やがて、式典は献茶式と進みます。家元が神前、祖霊前に一碗をお供えする儀礼です。
清閑な席中に茶筅の繊細な竹音がほのかに流れ、そのとき茶の湯煙が天に立ち昇ります。
それはまるで流祖利休の精魂が、この一碗に宿るようにも心に映ります。
続く濃茶席では淡い陽光が室内を照らす中で、家元は点前座に向い所作を粛々と始めます。
しなやかに柄杓を構え釜の蓋を取り、茶碗に抹茶を仕込み、水指の蓋を静かに立てかけます。家元の手さばきは慎ましく、されど流れるように淀みなく、一挙手一投足に茶の湯の歳月が見事に結実しています。そこで正客は深く礼を拝し出された濃茶を服します。そのやりとりの光景には、深い感謝と畏敬の念が込められていました。
席を移し点心膳に向います。朱漆の塗り碗に盛られた黒豆などが正月の華を添えています。清酒は控え目に心を温かくほどくていどに慎み、同席の同志と新年を寿(ことほ)ぎます。
最後の薄茶席では、練り切りの紅白の主菓子が添えられ心尽くしの甘味がふるまわれます。
炉の炭が小さくはぜるそのころ、小窓の障子越しには冬の陽射しが傾き始めていました。
席を終え露地に向うと庭の片隅にたたずむ寒椿の一輪に目が留まりました。寒中に凛と咲くその姿は、まるで茶心そのもので華やぎよりも静けさを装う『千年の美』を物語っています。

椿

初釜とは、新年を祝うだけの茶会ではありません。一碗を通じて自らの心を正し新たな一年の茶の道を歩む「覚悟」を新たにする儀式です。
茶室を出ると、細雪が薄っすらと石庭を白く染めていました。その白さに見惚れ今年も清らかな心で一歩を踏み出そうと、そっと息を整えたのを覚えています。

石庭

そして、淡い小雪の舞うなかで、私は初釜の余情にひたりながら今日庵を後にしました…。

表千家・裏千家・武者小路千家の御三家で執り行う初釜の儀は、例年一月七日から数日間にわたり京都の各家元邸で催されています。
裏千家では、京都上京区小川通りの「今日庵」にて国内外の特別賓客をはじめ、門弟や地方教授、地方支部長を招き執り行われています。その初釜の流れを簡略にご紹介いたします。
【1】総礼(そうれい)
初釜の最初に、家元夫妻と門人一同が新年の礼を交わし、流儀の無事と繁栄を祈ります。
【2】献茶式(けんちゃしき)
家元が神前、祖霊前にてお茶を点て献灯・献香・献花・献茶を手向ける厳粛な儀式です。
この儀式には、流祖利休居士への報恩の意が込められています。
【3】濃茶席(のうちゃせき)
家元が正客に濃茶を点て、お点前を披露します。使用する茶碗や釜、花入れなどは家伝の由緒ある名物道具が多く、利休好みをはじめ歴代宗家好みなどの名品が用いられます。
【4】点心席・薄茶席
濃茶後は点心(五味・五彩・五法)と薄茶が振る舞われます。点心は御節風の料理です。
【5】拝復・退席
家元が招かれた貴賓や門人方々の「祝賀の礼」に対して、感謝と年頭のお言葉を述べて返礼を行います。その礼を拝受した後に、私たちは退席となります。
この初釜の細部にわたる行事運営を担っているのが行亭(ぎょうてい)の方々です。行亭は家元直属の門人で茶事や行事をまかなう陰の立役者です。家元が行う様々な稽古や茶会、式典、国内外の貴賓の接遇などの運営や補佐などを務める「行之行の衆」とも呼ばれています。

私儀、今回のコラムは、いまは泉下の鵬雲齋令室の登三子奥様、そして昨年102歳でお隠れになった裏千家15代家元の鵬雲齋宗匠を悼み、在りし日を偲ぶ宗家初釜の懐古の叙情です。
私にとって先代家元とのご縁はことのほか深く、私が全国茶道新聞の編集長を務めていた事にあります。そのご縁から中興の祖である第11代家元の玄々齋自筆判を冠した『古典奥秘』『家傳秘抄書』『奥拾貮段傳法』など多くの家元秘蔵の門外不出之珍書を拝領し、これらの希少な文献を座右に置き、茶の道に精進するようにと宗家から薫育を受けています。
何よりも、私に『終身師範』の命と『宗名』を授けられたのも、他ならぬ前家元でした。

富士山

いまはただ、遠き蓮台の彼方へと旅立たれた宗匠の忘れ得ぬ恩義を心に忍ばせ、今年も初釜に幸多き年であらんことを念じ、悲しみを希望に変える春きたれと願うばかりです。