第31編 孔子の道しるべ
2025/11/18
私の古い友だちの一人に中国人の「孔健(こうけん)」という人物がいます。
とても気さくな彼は、儒教の創始者である孔子の第75代目直系子孫と称され、いまも孔子の末裔としてご先祖相伝の貴重な教えを広く世界の人々に語り続けています。
その孔健は1958年、中国は山東省青島市に生まれ族譜上の名前は「孔祥林」といいます。山東大学を卒業した彼はその後、日本に留学し上智大大学院で博士課程を修得しています。そして1985年から日本に在住していました。彼との出会いは、その当時にさかのぼります。
聡明な孔健は、儒学の教えに基づき孔子の精神を現代に伝えながら財団法人「孔子政経塾」を主催し、加えて「孔子文化賞」も創設し孔子理念の進展に貢献した人々を顕彰しています。その受賞者には、茶道裏千家同門の福田康夫元首相や稲森和夫氏などが名を連ねています。
孔健の話によると現在、孔子にまつわる親戚縁者は世界各国に約300万人もいるそうです。その膨大な縁者の中から本家の系譜をたどると彼が血統上の当主であると解明され、孔子の伝統思想を受け継ぐ直系の子孫として世に認知されるに至ったとのことでした。
さすが歴史を重んじる中国です。太古からおよそ3000年もの悠久の昔から脈々と続く孔子一族の家系を一望千里のごとく見渡すように、系譜を厳守管理されていたことには驚くばかりです。なお、山東省の孔林に広がる壮麗な墓苑には、孔子とその一族が眠る約10万基にもおよぶ墓碑群が雄大に合祀されているそうです。
さて、孔子は紀元前500年ごろの中国春秋時代に活躍した政治や道徳などを論述した偉大な思想家です。儒教始祖の孔子は『仁』を理想の道徳心として世に啓発し、その後、孔子の教えは愛弟子の孔門十哲をはじめ、七十二賢と呼ばれる多くの門弟たちにより『論語』という書物にまとめられ、師の教えは論語を基に人々の心へ浸透していきました。

この経典には、孔子と弟子たちとの問答や言行録が収録されています。やがて儒教者たちは論語をたずさえ師の説く理念を中国全土へと広め、秦の始皇帝の厳しい弾圧にも屈すること無く、漢の時代には儒教が国教へと昇華し庶民の心を支える教義として暮らしに深く根付いていきました。
わが国には、5世紀前半の応神天皇の大和朝廷時代に、百済から『論語』が日本に伝来したとされています。以後、儒学の教えは日本の政治、学術、産業、芸術、宗教、文化など垣根を超えた分野に影響を及ぼしていきました。まさに日本のディープ・イノベーションです。その様子をうかがわせる史実が、論語のとある一編に垣間見ることが出来ます。
時代は室町初期、能楽者である世阿弥の書き記した『風姿花伝』の随所に孔子の教えに通じた理念の展開が認められます。また、時を下ること安土桃山時代、茶道を大成させた千利休の説話にも論語にまつわる理念の一端を想起させる史録が遺されています。
なお、これらの具体的な内容は、かつて私が既述したコラム21編『花になりなさい』の文中に詳説しています。願わくは、その文脈から当時の実情をご推察いただければと思います。
ところで、この論語の中に特筆すべき人生の『道』なるテーマを物語る一節があります。

そこには、処世の秘訣が年齢ごとにわたる修得法として『為政編(いせいへん)』に綴られています。他ならぬこの論法が、当時の世阿弥や利休の心に一条の光となり灯され日本芸道の「道しるべ」と醸成されて萌芽しています。
この為政編には、孔子の口述が次のように語られています。
「子(し)いわく、われ十五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑(まど)わず。五十にして天命を知る。六十にして耳を疑う。七十にして心の欲するところに従い矩(のり)を踰(こ)えず。即(すなわ)ち我は、かように人生路を歩み幸せを得た。云々…」
要するに、孔子の人生の歩みを紐解くと次のように聞こえてきます。
【15歳】になって、私は学問(儒教の祭礼儀式の礼法など)の学びを志しました。
【30歳】になって、激動する社会の変化に焦らず、独立した自らの立場を確保しました。
【40歳】になって、さまざまな出来事に動揺する自らを戒め、心を引き締めて一切の迷いを捨て去りました。
【50歳】になって、独り放浪の中から人間の力を超えた天命を知りました。
【60歳】になって、古典の整理をしながら、人々の言葉を素直に聞けるようになりました。
【70歳】になって、わが心を大切にし、自由で思う通りに振る舞うことが出来ました。
私は、このように年齢に応じた人生の『道』を歩んできたので、生涯のうえで道理から外れることなく、幸せな人生を送ることが出来ました。云々…。
天命の最期を迎えた孔子は、心に湧き出る人生訓をこのように言い遺し74年の長い生涯の旅を終えています。孔子が晩節に到達した真理は「わが自らの心のままに自由に生きる事」、つまり素直な心で『わがまま』に生きる事こそが、人生の歩むべき確たる姿という事でした。
ここで孔子が述べる『わがまま』とは、日ごろ私たちが常用する相手や周囲の事情をかえりみず身勝手な言動を表する語意とは意を異にしています。この意味するところは自分の人生において、自らの思いを信じ自由に心を解き放ち、自分らしく日々を軽やかに過ごすことが『わがまま』の真意であると明示しています。
決して、自分の心をいつわることなく権力に迎合せず、いわれなき他人の弁に抗うでもなく、素直な心持ちで自分に逆らわず、そのままの自分で、つまり『わがまま』な心を大切にしながら人生の道を独歩していくことが、幸せにつながると孔子は説いています。
思えば、いま私たちが歩いている足元が『道』であり、この道は自らの足跡が物語ります。しかも、この道は未来へと続くone-wayの一方通行。心をいたぶる過去などに振り返らず、ひたすら夢ある明日に向かって、素敵な人生の花道を歩み続けていきたいものですね。
時に人生は、想像を超えたデコボコ道や息切れしそうな上り坂にも遭遇します。それでも、人生の激しい雨や風にめげてはいけません。雨が降るから美しい虹は現れるのです。

未来への夢を追い求め果てしない道のりを一歩、また一歩と小さな歩みを続けるのです。やがて、歩き続けるその先に新しい未来が広がります。希望という名の明日はそこから始まります。
世界が激しく揺れ動く現在、日本には与える事が受け取る事よりも重要視される恵愛の文化があります。このような時代にこそ、忘れてはならない日本の誇るべき情愛の精神です。
人々に寄り添い愛しむ思い遣りの心、つまり、お茶の心得である「もてなしの心」は、孔子が尊ぶ『仁』の真相にほかなりません。
孔子は、限りある人生を悔いなく過ごすには、仁の志をもって人々に「無償の愛」をそそぐ優しい心の営みを大切にせよと、いまの私たちに語り掛けているように思えてきます。
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