
ふしぎな風水の夢物語
2025/03/17
寒梅の花が一輪、また一輪と咲くごとに春の温もりが増してくるように思えます。
春は出会いと別れの季節とも言われています。この季節だからこそ運命的な出会いがあり、素敵な恋が芽生えるのかもしれません。そのカギをにぎるのが夢占い…。
そのような淡いテーマの奇縁から、私は某大手出版社の依頼で歌手のアグネス・チャンさんと『風水』について語り合う機会がありました。そのあらましを掲載した文芸雑誌が『最高の出会い運&恋愛力』という名を冠したムック本です。初版は2003年のことでした。
アグネスさんは、郷里である香港風水の現状と家庭での風習などを楽しげに話されました。
一方、私は日本古来に伝わる風水の事例と逸話を述べさせていただきました。意外なことに、その後の反響の大きさに驚かされました。とくに若者たちが占いに深く心酔しているとは、思いもよらないことでした。若者たちに、将来の予測が見えにくい不安が募っている証しかもしれません。ただし過度な信奉はお勧め出来ません。占いは、ある種『おとぎ話』のような神話的なファンタジーの一面も備えていることを本書に書き添えさせていただきました。
ここでお断わりをしておきますが、私は占い師ではありません。ただ動物や植物が大好きな愚直な男に過ぎません。編集者からの取材では、風水占いの概要と運勢の真因解明にいたるプロセスの一端に光を当て、お話をさせていただきました。
それでは当時を振り返り、あらためて占いの世界を少し覗いてみることにいたしましよう。
風水占いとは、中国伝来の「陰陽五行説」から考案されたマトリックスの古典理論です。
この占いの解析に用いられた指標が、各要素を網羅した下記の『陰陽五行配当図』です。
祭事・政治・戦術・医術なども、この配当図を手立てに処々の物事が体系化され指針が導き出されています。やがて、祈祷や易学・地相までも配当図の解読から生まれていきました。『風水占い』も、その一つです。
陰陽五行の配当図は、チベット仏教の外界宇宙を表す五大思想の「地・水・火・風・空」や人体の小宇宙を表す「五臓器」などをパズル的に当てはめ、先のコラムに述べた栄西禅師の『喫茶養生記』で観るように医療にも応用された、つまり万物を解き明かす羅針盤です。
そして、この図表から得られるさまざまな解釈に基づき漢方薬をはじめ薬膳料理や鍼灸などの新しい技法が次々と確立され、人々の暮らしに大きな貢献をもたらし今に至ります。
この精神世界は、茶道にも深く影響を及ぼし諸作法の要所に色濃く息づいています。
そこで温故知新の風に乗り、陰陽五行の故事来歴をたどることにいたします。
はるか遠くの太古のおきてに「和をもって尊しとなす」という有名な訓示があります。
時は6世紀末、豪族がはびこる飛鳥の時代に日本初の女帝推古天皇の命を受けて聖徳太子
(厩戸皇子:うまやどのおうじ)が作成したと伝わる国家統制の『憲法十七条』の初文です。
和の心をもとに儒教と仏教の思想を融合させ人々の歩むべき道と道徳心を示しています。
この条文を陰陽五行の配当図で解きますと、西暦604年は天命が改まる年である「甲子:こうし」に当たります。この甲子とは甲(木の精)と子(水の精)が重なる相生として万物の始まりの年とされています。この事由から憲法はこの年に発布することが望まれました。
そして、統制の内容は天道と地道の二つの道を命令法と禁令法で構成させています。
天道(陽)の教えとは、陽である奇数の極数「九条」の命令事項です。一方の地道(陰)の教えとは、陰である偶数の極数「八条」の禁令事項です。すなわち、九条と八条を合わせて「十七条の憲法」が創られているわけです。(添付の配当図をご参照ください)
いわゆる、法令発布の時期は推古天皇の天命が改まる604年に執り行い、天道の導きである九つの「~をしなさい」という命令と、地道の戒めである八つの「~をしてはいけません」との両者天地の教えを人の進むべき道だと憲法で説いています。
また中国伝来の暦を採用し、この配当図を用いて日本で初めて時刻を十二支に振り分けたのも推古天皇だと伝わります。604年の正月、天皇は11時から13時を午(ご)の刻と定めています。現在、私たちがお昼の12時を「正午」、正午の前を「午前」、正午の後を「午後」という習わしも、約1400年前の推古天皇の暦が起源となっています。
ところで、聖徳太子は『冠位十二階』にも陰陽五行の配当に準じて等級を制定しています。神が宿る北極星を中心に、規律を守り追従する十二の取り巻く星々に冠位を当てはめているのです。
その論法は、儒教を参考に「徳・仁・礼・信・義・智」の六つの徳を陰陽の2つの大小に分けて十二等級にしています。さらに十二冠の位を分ける目的で色も定めています。「紫・青・赤・黄・白・黒」の六色を陰陽の濃淡に分けて、十二色の制定をしています。
加えて、五行相生の「木・火・土・金・水」で平和な気の不変的な循環を祈願しています。このようにして、陰陽五行の配当図を手掛かりに十二官職に等級を定めていたのです。
その昔、大事な国家統制の法は厳重な管理がされていました。そのために秘められた歴史をたどるのも必然事です。私たちが容易に学ぶことの出来ない精神世界だったわけです。このような背景にある陰陽五行説は、奥深く謎満ちる日本文化の根本思想でもあったわけです。
やがて時もうつろい、陰陽五行の配当図は時勢の気運や吉凶をはかる占い事として、庶民の暮らし中に根付いていきました。かくも謎めいた風水占いを確たる道標として信じるか否かはさておき、太古の人々は非現実的な白昼夢などといとわずに「夢占い」を生活の一助として、心の支えにしていたようです。
今に生きる私たちは、とかく占いを単なる迷信事に思いがちですが、その選択は個々の価値観に委ねられるべきものだと思っています。この占いの軌跡に思いをはせば、他力の事象に頼らず、むしろ自らに宿る感性の直観を信じ、魔法の助言に心を寄せるのも一計に思えてきます。この視座から観えてくる現実味のある行動こそが、実は開運の世界へと導く扉ではと思えてなりません。さて、今年は皆さまにどのような出会いが訪れるのでしょうか…。
春よ来い!夜空に輝く星々が新たな希望の明日を連れてくる、夢物語の扉が開きます。
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