病は天使のシグナル
2024/11/15
茶の湯の醍醐味は、なんと言っても自然界との語らいにあります。四季折々の山野に訪れる風や陽光、草木の枝葉に宿るピュアーな果実や可憐な花々など人の手が及ばない自然の営みに触れ合い、そこから生まれる私たちの感性の育みにこそお茶の深い味わいが芽吹きます。
とは言っても自然界の物々は何も語ることはしません。私たちがその物々に心を運ばなければ自然界のささやきは得られません。茶の湯は、その尊い領域に誘う道筋を教えています。
人々はこの豊かな時空に出会う喜びを求め、お茶に心身をゆだねてきました。そこで声なき静寂な森羅万象に心を寄せて新たなる世界を探訪することにいたします。古来、千里の旅や万巻の書を超える教えが自然の中に有ると伝わります。自然はもの言わぬ最良の教師です。
雄大な自然から多くを学ぶには深い心の感性の目覚めが不可欠です。その感性の覚醒には脳の機能が貢献します。さっそく茶友の脳外科医に脳にまつわる話を尋ねたところ興味深い逸話を受けました。脳の容量はわずか1.3㎏ほどで約75%が水分で形成されているとのこと。そして、脳内を巡る体液は海水の成分と酷似してマグネシウムを除けば塩素をはじめカルシウムやカリウム・ナトリウムなどの含有量がほとんど海水と変わらないそうです。しかも、約40億年前に海に生息していた海洋生物の体液と大きな変わりがないということでした。
私たちの生命の古里が大海原であったことを教えているわけですね。この脳内には約115億個の細胞と千数百億個以上の神経により成り立ち、およそA4×500兆ページ分の情報量を即座に処理する壮大な能力を備えたスーパーコンピューターであると現代科学が解明しているのだそうです。
さらに驚くことは、これほどに高度で繊細な脳の外科手術の記録が紀元前17世紀のエドウィン・スミス・パピルスという書物に残されているとのことです。また、紀元前後のインドや中国でも頭蓋骨の開頭手術が行われていたという記録が残っているといわれています。
これらの史実から想像すると、遠い昔の人々は現代の先端医療の知見を超越した異次元の医術理論を修得していたに違いありません。この不思議さは推測の域を出ませんが、ひょっとしたら愛しい人の命を救うという切なる情愛が希望の英知となり、自然界の営みにある自然療法の技法に巡り合えたのではないだろうかと思えてなりません。それほどに彼らの生きる本能には、研ぎ澄まされた純粋な感性が日常的に深く息づいていたのではないでしょうか。
そもそも、自然界の物々はすべて命のエネルギーを、穏やかにバランスを保ちながら健やかに生きています。それが自然本来の姿です。それを思えば、私たちも自然界の気と穏やかに同調しながら過ごしていれば、不自然な『病』など身に生じるはずはありません。太古の人たちはそのような命の実相を自然界から学んでいたのかもしれません。安らかに自然と調和してこそ体内で滞る病の気も平和になるのです。人の体は健康であってこそ自然の姿です。ところで、タンザニアの野生のチンパンジーは、薬草と思われる苦い植物の「ルホショ」を食べて健康をはかっているそうです。彼らの不思議な医学的行動は自己療法の一例ですが、私たち人間の遺伝子にも、神様がこの自然療法を忍ばせてくれているのかもしれません。
そこで、私たちの遺伝子の長い歴史の生い立ちを眺望することにいたしましょう。いったい、どれほどのご先祖たちが私たちの命を支えているのでしょうか…。興味は尽きません。
父母の2人に祖父母は4人、曽祖父母が8人と数えていくと、10代前にさかのぼると計算上2,046人となります。さらに20代前になると飛躍的に増え約209万人(2,097,150人)を超え、30代前ではなんと述べで21億人以上(2,137,483,646人)のご先祖となります。
この試算は、単純に夫婦2人に子ども1人と仮定した(2のn乗-1)×2の算術で解いた人数ですが、目のくらむほどのご先祖の数です。しかも、たとえ1人でもこの系譜のご先祖が存在しなかったとすれば、今の私たちはこの世にいないことになります。
私たちの遺伝子には、それほど深遠な歳月に過酷な経験を積んだご先祖の遺伝情報が集積され、今の命が成立しているのです。ですから、私たちにはこの世で克服の出来ない問題など何一つあろうはずがありません。悩み苦しまずとも自らに宿る遺伝子が生き抜く答えをしっかりと内蔵しているわけです。そのような視座でわが身と向かい合えば私たちが日ごろ自愛を大切にしなければならない理由が理解できますね。それは紛れもなくご先祖への感謝につながります。
自然という名の神様は偉大です。この世に男と女を創り異なる男女2種類の遺伝子を混合させ新たなる最強の免疫力を子孫にほどこし、種の存続をおびやかす悪性ウイルスなどに対抗できる生き抜く力を授けています。神様は私たちに強く生き残ることを願っているのです。
『病』とは私たちが「不自然」に生きている時に顔を出す悪しき現象です。その不自然な過ちに気付かせようと病をもって正しさを啓発させているのかもしれません。つまり、病とは自らの生き方の不自然さを知らせる「天使のシグナル」とも言えます。その教えを私たちが素直に受け止められたあかつきには、神様から自然治癒という贈り物が届けられ病は平穏に癒えていくのでしょう。
野に咲くタンポポは踏まれても踏まれても、なおもほほ笑みながら美しい花を咲かせ力強く生きています。私たちも病に負けず、たくましく心身を進化させながら生きていかなければなりません。病は免疫を創る進化の母です。いたずらに病を恐れる必要はありません。
私たちがこの世に生まれてきた当初のように、心身を自然体に戻すことで病は静かに消え失せ安らかに治癒していくものです。現代の医療界では受精卵から取り出したES細胞や皮膚や血液から作製されたiPS細胞などの解明により細胞初期化に成功し、万能細胞が再生医療に目覚ましい発展を遂げています。しかし生命の倫理上、先端医療は大自然の摂理の深層に心が結ばれていなければ人道的に誠に不自然です。飛躍的に躍進する医科学の末路には、果たしてどのような風景が待っているのでしょう。私たちが追い求めている病への根本的な答えは、意外にも身近なところにあるのかもしれませんね…。
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