秋の夜空に輝く星あかり

2024/10/02

時おり、世間話にのぼることですが「あなたとは気が合うけど、あの人とは気が合わない」。こんな悩ましい人間関係に戸惑うことはありませんか。でも心配には及びません。この原因は、私たちが何気なく発している『気』、つまり各自特有の『波動』がもたらす事象です。
決してコミュニケーション上の不和でなく異なる波動の接触から生じる出来事で、わが身が創出する気(エネルギー)を和らげれば手ごわい問題を乗り越えてすぐに仲の良い友好関係が築けます。ちょっと奇妙な話ですが、実はお茶で語る「陰陽和合」に関わる世界なのです。

古来、お茶の世界では自然界に取り巻くさまざまな気のパワーを巧みに用いた事例を散見することができます。その中で興味をそそられる一つに「畳」があります。この畳にはとてもミステリアスな物語が秘められ歴史を刻んでいるのです。今は昔の平安時代、日本に生まれた畳は、長い歳月に幾多の変遷を遂げながら日本固有の生活文化となっています。
特に、桃山時代になると建築様式の数寄屋造りや茶の湯が盛んとなり、貴賓者向けの敷き物として扱われています。やがて時は流れ一般の暮らしの中に溶け込み現在に至っています。
その生い立ちは奇怪です。そもそも畳の形状は私たちの一生を一畳と捉えて創作され、そのような理由から人間の等身大にほぼ合わせて作られています。この畳の真骨頂は、人と大地の宇宙力学がもたらす「気の融和」を目的に創られた特殊な調度品であるということです。
要するに、人と大地の気の調和を紡ぐ小舞台というわけです。この自然界に息づくパワーを一カ所に集結させるという4構想により造営された特殊空間が『茶室』となっているのです。ところで、この茶室に敷かれる畳には「気」にまつわる天文学的な法則が存在しています。
地球は、太陽の周りを約365日かけて1回転しています。公転方向は太陽と同じ反時計回りの左旋で周期運動をしています。1年の365日を五行説の5つの気で分割すると書院造りの「72畳」の茶室大空間が成立します。それを春夏秋冬の4つの季で割ると「18畳」となり、さらに東西南北の四方の4気で割ることにより、茶道の基本空間である『四畳半』の茶室が完成します。この分割プロセスのなかで象徴的な役割を担っているものが、他ならぬ自然界に脈動する『気』というエネルギーです。また、畳の敷き方にも自然界のパワーにこだわる特別な規範があります。その敷き方は、文字の卍形が示す左回りの左旋に敷き詰められて、天地(陰陽)から注がれる森羅万象のパワーを効率よく畳の中央に集めているのです。
時に、お茶の作法で茶碗を左や右に回す動作を茶碗の正面を避けるマナーだと耳にしますが、それは過ちです。絵柄の無い茶碗はどこが正面か不明です。決して合理的な話ではありません。茶碗を左右に回す所作には、世間の俗説とは異なる奥深い大義が潜在しています。

大地に流れる陰の気は反時計回りの左旋です。それを植物のアサガオが自然界の摂理を語っています。アサガオのツルは上から覗くとおよそ左回りの左旋で天へと向かい昇っています。この生態の姿こそが自然界に存在する気の流れの法則を教えています。茶道の作法には、この自然界の気の流れにわが身を順応させ、処々の所作が制定されているわけです。

朝顔

さて、その茶道では「陰陽和合の理」を平和の礎として尊く儀式化しています。そのために陰陽説に則り、あらゆるものを陰陽の2つに区分けして物事の扱い方を定めています。
例えば、陽として能動的な亭主は客に仁を尽し、陰なる受動的な客は義により茶を服します。その際、陽なる亭主は茶碗を左(陰)に二度回し、陰なる客は受けた茶碗を逆の右(陽)に二度回して陰陽の和合を図ります。そして茶を服し終えた客は茶碗を左(陰)に回して亭主に戻します。このように陰と陽との動作を交互に反復させ「陰陽和合の理」の成立を図り、茶道の極意となり今に伝わります。左や右に回す所作には、このような崇高なドラマがあるのです。陰を踏めば陽を返し、陽を踏めば陰で返すというこのルールは、まさに気の調和を図る相手への心づくしであり、この姿こそが茶道の真髄とされる平和への祈りの実相です。

畳

ここで話題をお茶から少し離れ、陰陽を実体験された方のエピソードをご紹介します。
今は亡き冒険家の植村直己(うえむら・なおみ)は、GPSの無い時代に単独で犬ゾリに乗り北極点の到達を成し遂げました。その冒険に向う時、第一次南極越冬の西堀栄三郎(にしぼり・えいざぶろう)隊長から天測の詳細な指導を受けて旅に出ています。彼は座標軸もない一面銀世界の中で大地の磁力と天空の星座が織りなす『道標』を頼りに、氷上極点を割り出し到達しました。彼ほどに天地に息づく気(エネルギー)の世界を全能で体得された方はいたでしょうか。北米マッキンリーに眠る彼に、そっとその体験談を聞いてみたいところです。

北斗

その昔、過酷な毎日がまさに冒険のようであった太古の人々も、夜空に輝く星々を見つめながら苦しさに耐え忍び日々を過ごしていたことでしょう。厳しい自然の中で、もしも天空に異変が起きれば大地にもよからぬ影響が起こるに違いないと、一心に自然界が穏やかなれと天地の平和を星々に祈っていたに相違ありません。その天空に神のごとく不動の姿で輝き続ける星が北極星です。その位置に導く星が北斗七星。この星は柄杓星とも呼ばれています。
お茶の作法には、この自然界の摂理を暗示させる姿を要所に観ることができます。お湯を汲み上げる柄杓には北斗七星を化身化させ、点前では先ずは祈るように北極星の北側に向い、柄杓を構えます。構えた時に柄杓の丸い底面を見つめ心を鎮めます。この底面は鏡と呼ばれ昔から呪術力を持つと言い伝えられ、気を統一するために鏡が重視されていました。お茶の所作にはこのように神聖な心づかいがお点前に反映されています。古来「東」は太陽が生まれ「西」は安らかに眠り「北」は神が暮らし「南」は天使が育む所だと語り継がれています。やがて時の権力者たちは四方に働く気の世界を思想化し儀式や祭りなどの飾りつけや演舞に表現をしていきました。なお、この陰陽和合の最たるものは「合掌」です。合掌は左手(陰)と右手(陽)の両手を和合(中庸)させ、神を呼び求め祈りを捧げる礼法の一つです。
茶の湯にも、この神秘な営みを奥義として時を超え今にその姿を語り続けています。

世界情勢が混迷を深める中で夜空を見上げることの少なくなった現代ですが、天空の星々はまるでメリーゴーランドのように楽しげに平和な運行を続けています。秋の夜空から「大地の人々よ、心穏やかであれ」と神々のささやきが降り注いでいるように思えてきます。