おしゃべりな植物たち、アロマの世界

2024/07/10

日本の三大銘茶とたたえられる静岡茶・宇治茶・狭山茶を紹介する茶摘み歌の一節に「色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす」という、はやり歌が古くから伝わります。
そこで、今回はお茶の『香り』にまつわる故事来歴を訪ねることにいたします。

さて、緑茶の香りには何とも言えない心を和ませる爽やかさがあります。この魅力的な香りの主成分は「青葉アルコール」というものです。そして、ゴクリと飲み干した後に残る淡い甘味は「テアニン」というアミノ酸の働きによるものです。このテアニンには心身をリラックスさせる効果や睡眠をサポートする心地よい働きなどがあるといわれています。
古来、私たち日本人はこのように心身を穏やかに癒すお茶に特別な親しみを持ちながら、日々生活の中で楽しい喫茶のひと時を迎えていたのですね。それでは、さっそく本題の香りに光を当て魅惑の世界を紐解いていくことにいたしましょう。
最近よく耳にする「アロマセラピー」ですが、皆さまもご存知のことかと思いますがそれは麗しい香りを用いた健康療法のひとつです。自然界の草花や樹皮などの植物性の成分や動物性の香り成分を活用し、自らの治癒力を活性させ心身を健康に導く古典的な療法です。
アロマ(芳香)とセラピー(療法)の2つの用語を組み合わせた名称です。
その起源は古く、今から5000年ほど前の古代エジプトの時代にさかのぼります。当時の文献にはアロマセラピーの薬効などの所見が詳しくしるされています。永い歳月の洗礼を受けながら現代に伝わる芳香療法ですが、当時は心を鎮静させる目的として副交感神経に優しく働くラベンダーやビャクダン(白檀)などを用いていました。一方、心を奮起させるためには交感神経に届くローズマリーやレモンなどの刺激的なハーブを利用しています。そして、不思議なことに高度な発展を遂げる先端医療の現代に、遠い太古の芳香療法の効用が注目を集めています。その自然療法に関連する果報のいわれを幾つかご紹介いたします。

アロマ

その昔、戦国時代の日本でも香りの効用が珍重されていました。武士たちが戦の際に装着していた兜や鎧などの甲冑には様々な香が焚きしめられ、血気にはやる心を鎮めていました。具体的には、戦士の勇猛心を高めるためにクスノキ(楠木)から作り出すショウノウ(樟脳)やニッケイ樹皮のケイヒ(桂皮)などの香料を用いていたことが史録に残されています。
ところで、このアロマには麗しい香りの薬効だけでなく「物理的な効用」の存在も解明されています。それは植物が持つ特殊な成分の働きです。その不思議な物質の正体とは、枝葉や樹木などが放出する物質で「フィトンチッド=Phytoncide」というものです。
この特殊な分泌物が私たちの心に快気を呼び起こす作用を持っているのです。これこそが、植物が私たちにもたらすもう一つの薬効パワーというわけです。
このフィトンチッドは、動物のように自由に身動きの出来ない植物が、外敵から身を守るために放出する成分です。何とも信じがたいことですが、植物の護身用の分泌物が私たち人間に、いたって友好的な働きをしているというのです。
時は1930年ごろのことになります。ロシアのポリ・トーキン博士は傷ついた植物の周辺に取り巻く悪しき細菌が次々に死滅していく様子を見て、植物が傷つくと放出する殺菌力のある揮発性物質を発見しました。博士はその殺菌物質を「フィトンチッド」と呼んでいます。この名称は、フィトン(植物)とチッド(殺す)との意味をもつ複合語です。
植物は、外敵の毛虫などに襲撃されると大急ぎで敵が嫌う成分を放出し身を守っています。この天から授かった護身用の分泌物は、いつでも反撃に使えるように樹皮や枝葉などに蓄えています。そればかりではありません。敵の襲来の際には、いち早く身の危険を周りの仲間たちに伝えています。その警報を聞いた周りの植物たちは毛虫の嫌う同種の分泌物を放出して身を守り始めます。このように植物たちはいつも仲良く話をしながら助け合い暮らしているのです。この植物たちの心優しい情報交流を「アレロパシー=Allelopathy」と呼んでいます。この伝達手段に用いている物質がフィトンチッドなのです。

例えば、コーヒーなどの低木類は小枝や葉々からフィトンチッドを放出しているので、根元周辺には善からぬ雑草が生えにくいといわれています。また、小さな草木に限らず大木にもフィトンチッドの働きを観ることが出来ます。神社やお寺の境内には、イチョウ(銀杏)やアオギリ(青桐)などの大木を見かけますが、この樹林は火災に悩む江戸時代に防火林として植林されたものです。火災時にはこれらの大木は枝々から身を守るために水分を噴き出すのです。このような樹木の特性を当時の人々は知っていたのですね。また、この樹液は防火だけに寄与しているのではありません。川岸に植えられている桜並木ですが、桜は汚れた水を浄化させる働きがあり、水質保全のために植林されているといわれています。
お花見に出かけた時、桜の木の下で枝葉から水滴が落ちてくるのに気付かれたことはありませんか。そのしたたる滴が桜の美しい聖水です。

神社

このフィトンチッドは、昔から日本の暮らしにも息づいています。鮮魚の下に敷くヒノキ(檜)の葉はフィトンチッド効果で腐敗菌を殺菌しています。また、お茶に出てくる生菓子にクロモジ(黒文字)の楊枝が添えられますが、このクロモジはクスノキ科の落葉低木で虫歯菌を殺菌するフィトンチッド効果を持っています。ここにも茶人の細やかな客人への心配りをみることが出来ます。すべての神経が香りに集中する時、心は様々な邪心から解き放されます。この境地に「心と体」の健康が芽吹きます。神秘な香りの効果は雑然とした現代社会に求められる癒しの救世主。この香りの力を太古の人々は暮らしの知恵としていました。

お花

そして、伝統文化の茶の湯にも茶葉の薬効だけでなく香りの効用が現代科学に解き明かされています。言葉を持たないもの静かな植物たちですが、私たちの体や環境を守り続けているのです。その自然を守るということは、私たちの命を守るということにつながります。
そこで、母なる自然を大切にしながら植物たちとコミュニケーションを図ってみてください。植物たちは今も私たちの耳には届きにくい小さな声で楽しく語り合っているはずです。身近な草花にそっと耳を澄ませてみると、ひょっとしたら植物たちの幸せなおしゃべりが聞こえてくるかもしれませんよ。そこは、まるで夢のようなファンタジーの世界です。