万葉びとに愛された帛紗の夢物語
2023/09/20
お茶会に誘われた時、まず用意する物は次の5つ道具です。①帛紗(ふくさ)②扇子③懐紙④楊枝⑤帛紗ばさみ、これらが揃えば安心してお茶が楽しめます。その中で特に心をそそられる物といえば帛紗です。帛紗にはとてもファンタジーな物語が秘められているからです。帛紗は、お茶のお点前に常備する小さな布物です。茶杓や茶器などを拭き清めるときに用いる大切な道具の一つです。また茶道に入門すると最初に割り稽古を体験しますが、その初めに習う所作が『帛紗さばき』です。帛紗の扱いには「真・行・草」に応じた特殊な折りたたむ作法がありますが、その所作の奥義には愛深い祈りが手順に込められています。各流派や男女によって作法の流儀は若干異なるものの、根底に宿す真意はみな同じです。
そこで、帛紗さばきに込められた神秘な作法の世界を訪ねることにいたします。
【手順1】まず初めに、膝の上で帛紗の「わさ」を右にして四隅を広げます。わさとは縫い目のない所です。この広げられた帛紗の全景が自然界の太極を意味しています。帛紗の天の左右を両指でつまみ上げ自然界への祈りを捧げます。森羅万象の平和を祈りながら宇宙の原理と一体になり、わが身の呼吸を安らかに整えるのです。
【手順2】続いて、帛紗を2つ折りにします。この所作には陰陽2極を清める祈願が込められています。天と地、太陽と月、善と悪、生と死、光と影、…。自然界の事象はすべて2極により成り立っています。永遠に対局の関係にありながらも調和をもって現実界が平和に存在しています。この2極和合を所作により懇願します。
【手順3】さらに、2つ折りして4つ折りに整えます。この象徴が四天王です。四天王とは外界の敵をくじく勇猛な四人衆の守護神です。日常生活の中に生じるさまざまな妄想や邪心を追い払い、穏やかな時空を授ける神々です。自らの生命エネルギーを大地の磁場と同調させ、四方から襲来する異様な気の流れを平穏に浄化させ、心身と茶室空間に平和をもたらします。この四天王に守護を祈願するのです。
■持国天(ジコクテンは、東方を守護します)
■広目天(コウモクテンは、西方を守護します)
■増長天(ゾウチョウテンは、南方を守護します)
■多聞天(タモンテンは、北方を守護します)別名に毘沙門天とも称します。
人は皆、泣きながらこの世に生まれてきます。明日の見えない苦しい日々に誰かがどこかで愛深く見守っているのです。4つ折りはその守護を象徴しています。
【手順4】次に2つ折りし8つ折りに仕上げます。そして八相成道(はっそうじょうどう)に祈りを捧げます。仏法の教えでは、俗世の生涯を8段階に表しています。
①人は天から舞い降ります②母に宿ります③そしてこの世に誕生します④仏門で学びます⑤邪悪な心を退治します⑥悟りの知恵を得ます⑦その知恵を多くの人に説いて聞かせます⑧このような生き方をすることで、心の迷いが無くなり穏やかに天に舞い戻るのです。
仏教は唯一の神を崇拝する宗教とは異なり、自分の努力によって自らを救うという自己完結の自愛が成す生き方を説いています。この心持ちを大切にしながら生涯を生き抜く宿命に感謝と加護を祈るわけです。
【手順5】さらに、2つ折りして16折りに帛紗をさばきます。それは極楽浄土に咲く蓮華の台座に身を捧げることを意味します。お釈迦様が座る台座は16弁の蓮華の花びらに象徴されています。この世で八相を懸命に生き抜いた人は極楽浄土に往生が叶うとされ、蓮華の台座の上に生まれ変わるといわれています。その世界は、心の迷いを断ち切って迷界である現世に再び生まれ変わることのない心安らかな極楽の境地だと語られ、植物の蓮華の花がその世界を象徴しています。
ところで、神霊が寄り添う対象物のことを『依り代』といいますが神域を指すこともあり神社などの御神木などがそれに当たります。植物は動物とは異なり切り落としても適切な処置をすれば命を維持することが可能です。さし木など施せば延命再生が叶います。こうした植物の特性に神秘さを観た太古の人々は植物信仰に目覚め人智の及ばぬ神秘の力を花器に供えるようになりました。この思想が華道の根本精神です。花(植物)を愛でる心は天国への道につながっているのです。
【手順6】最後に、2つ折りして32折りに仕上げます。そして天空に住む竜顔に祈ります。竜顔とはお釈迦様の象徴です。32折りの小さな帛紗は仏様のお顔のような姿になっています。名高い禅問答に「仏とは何か」と問われ『麻三斤=まさんぎん』と答えています。麻三斤とは麻糸3斤(約2㎏)を意味しています。それは出家時の僧衣の量であり自分自身が仏であると自らを肯定化しています。御仏は私たちを仏の子どもと受け入れているからです。小さく32折りにたたまれた帛紗には、悟りに至った私たちの真の姿が象徴されているといわれています。
ことほど左様に、万葉びとに愛しく語り継がれた帛紗の夢物語です。
帛紗さばきには、陰陽2極を清め天地の平和を祈り、邪界では四天王に守られ、八相の戒めを暮らしに生かし、やがて天国に旅立ち蓮華の台座に生まれ変わります。そして、わが身がお釈迦様のような悟り人になるという壮大なストーリーが秘められているのです。
仏教史を駆け足でたどれば、インドで生まれた「釈迦仏教」が中国に渡り道教や儒教を組み入れ独自の「中国仏教」となり、その中国仏教が飛鳥時代に日本に渡来し大和の民族宗教を融和させ日本特有の「日本仏教」になりました。時代や異文化に洗礼された元始の釈迦仏教ですが、命の尊さと心の安らぎを伝える教えは国や文化こそ違えども通底した真理です。
しかし茶道は宗教を強要するものではありません。お伝えしたいのは作法の根底にある「義」に心を寄せ、やがてその所作の「儀」に定められた「形」を破り、作法への執着から心を離し自由な姿で茶の道を歩んでほしいという一念です。これが芸道でいう『守破離』の精神です。人生は長い旅路、時に暗路を照らす物言わぬ教えに支えられながら生涯を歩むものです。
お茶の道は、守破に至り離に及べば行雲流水のごとく自由に演舞する夢舞台なのです。
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