元始、女性は実に太陽であった!
2023/07/12
現代のように茶の湯が開放的になったのは、明治の女性教育に「茶道」が設けられたことが背景にあるようです。600年近く続いてきたお茶の世界は、およそ男性の嗜みとして歴史を重ねてきました。ところが、明治の新しい風が女性社会へと流れ現代の華やかなお茶の風景が創り出されています。
現在、茶道は千家流を筆頭に約47流派が活躍しています。さらに細かく分けると数百派に及ぶ亜流が日本の茶道を支えています。茶道人口は年々減少傾向にありますが約220万人(2018年)の人員を集め、その内の約90%以上を女性が占めているといわれています。
歴史が語るように、幕末から明治にかけて新しい近代日本の建国が進んでいきました。思想の革新も目覚ましく人々の日常にも西洋文化が浸透していきました。そして、国民は新たな知識や技術を切磋琢磨して会得し、暮らしの価値観も驚くほどに変貌を遂げています。
銀座には、文明開化を象徴する鹿鳴館が近代日本の進むべき道を示していました。この館は茶人でもある外務大臣の井上馨が3年を費やし完成させています。館の名称は『詩経』から鹿の鳴く声が「調和の交流をもたらす」という説を取り入れ命名されています。
やがて時代は第一次世界大戦を迎えています。日本の経済復興と国家存亡をかけて男性たちは、こぞって戦場に向います。その一方、国の留守を預かる女性たちは国家と家族を守るべき情操の修得へと歴史が大きく動いていきます。
当時、男性たちが手にした武器は「銃剣」でした。そして、女性たちが武器に選んだものが「知性と品格」です。
明治から昭和の動乱期に活躍したロマン派の歌人、与謝野晶子は愛と自由の志を貫き女性の自立と解放を提唱した思想家でもありました。男女平等の教育を唱え日本初の男女共学の『文化学院』を1921年に創設しています。晶子は女性の自立について「女性自身が自ら心身を鍛え技能を磨き、優れた人格を形成するように日々努め、人として生まれもった才覚を大らかに社会で開花させましょう」と、世の女性たちに勇気を与えています。
時を同じくして女性解放運動の先駆者である平塚らいてうは「元始、女性は実に太陽であった。今、女性は他人の光によって灯る蒼白い月である」と、臆する女性たちに声高らかに自立への力強いエールを送っています。すでに100年前の明治期には、女性のもつ個性への尊厳や性別にとらわれない『ジェンダーレス』の価値観が高まっていたのです。
ところで古来、日本には『女人禁制』という女性結界の風習があります。諸般の風説はありますが、決して男尊女卑の差別的な悪しき制度ではありません。そもそも皇家崇拝の中心とされる天照大御神は女性です。また、本来の仏教にも特定の場所に結界を施し女性の立ち入りを禁じる戒律などは存在しません。鎌倉仏教の道元や法然、親鸞たちも女性結界への解釈の誤りを強く批判しているほどです。
その昔、仏教の修験者が修行していた所は険しい人跡未踏の山岳地帯でした。太古において深山には魑魅魍魎が住む危険な場所と考えられていました。そのような危うい場所に子どもを身籠り養育する大切な女性を近づけてはならないと『母体保護』の精神で生まれた心温かな制度が「女人禁制」の本義です。
神道や仏教では、人の年齢を「数え年」で言い表すことが習いです。満年齢ではありません。数え年とは、母の受胎からこの世に生まれるまでの期間を1歳と数えます。それほど神仏界でも母体を尊いものと敬っています。この世のいかなる人も母から誕生を得ているのです。社会で女性の命を守るべきは当然のことなのです。この考え方が女人禁制の真意となっているわけです。やがて時代が進み、険しい山道も整備がされると信心深い女性たちが参拝のために登山をするようになりました。そこで危険を案じて結界石を置くようになったと言い伝えられています。
さて、厳しい時代を生き抜くために明治の女性たちは修養を目的に総合芸術といわれる茶道から多くの学びを得ています。大正3年には高等女学校の授業に「茶儀科」が制定され、お茶の指導が始められています。茶儀科の教育のために「盆略点前」も、この時に考案された作法です。このように一般教養として茶道が女性社会に貢献しています。
この授業では、お茶の作法だけではなく風変わりな西洋のマナーも指導がされています。
例えば、フォークの背(裏側)にライスを載せて食べるマナーや紅茶や珈琲のカップを180度回していただく奇妙なマナーも日本独自の洋風スタイルです。カップを回すマナーはお茶の作法を真似て作られた和製の洋式作法ともいわれています。でも少し合理的とは思えませんね。和魂洋才の偏愛がもたらす日本文化の歪みに思えてなりません。
現在、食事の作法にはアメリカ式やイギリス式など各国独自の美しいマナー(作法)やエチケット(礼儀)が異国文化として存在しています。
珈琲の場合は、飲み手側から見てカップのハンドル(取っ手)を右側に向けて出すスタイルはアメリカ式です。アメリカでは珈琲をストレートで飲む人が一般的で飲みやすさを考えた優しい心配りのエチケットです。一方、ハンドルを左側にして出すスタイルはイギリス式です。ヨーロッパでは紅茶や珈琲にミルクや砂糖などを入れる人が多いために右手でスプーンを使用した場合に左手でカップを押さえ安定させる必要があります。そのために生まれたマナーだといわれています。ソーサー(受け皿)の上に置くスプーンの位置は欧米スタイルではカップの外側(奥)に横置きします。日本の場合は、カップ手前にスプーンの持ち手を右にして横置きするのが大手ホテルなどで主流とされる和製のマナーとなっています。
そして、使い終わったスプーンはカップの外側に横置きするのが世界共通のマナーです。
何気ない姿で食卓に並べられた食器にも、食事のおもてなしの心遣いが息づいているのです。誰もが等しく心に宿す『品性』に、前向きな心掛けが『品位』を高め、凛とした確かな思いに『気品』が輝きます。そのようにして私たちの『品格』が形成されるわけですね。
人々の人権が問われる現代ですが、男女の性差やマイノリティの問題を超え、尊くおかしがたい人としての知性豊かな品格が、社会や家庭を幸せに導く宝物になることでしょう。
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