お香とお茶の巡り合い

2023/01/20

青空の澄み渡る冬の朝、近くの丘に出かけてみました。小高い丘の上に立ち大きく深呼吸をしてみると、清々しい冷風の香りが体中に染みわたります。まばゆい朝日を背に振り向くと、目の前には眠りから覚めた静かな森が広がります。春を待つ草木からはピュアな香りが、そよ風に乗って運ばれてきます。久しぶりに味わう冬の香りとの対話です。
古来、人々は一陣の風に漂う香りに懐かしさや喜びの過ぎし日を想起していたのでしょう。その営みから生まれた香りの文化が、やがて優美な「香道」へと昇華していきました。
このメルヘンチックな香道が、茶道と巡り合った軌跡をたどることにいたします。
香木

お香に使われる香木が日本に渡来したのは飛鳥時代の595年、淡路島の浜辺に漂流してきた流木を島民が焚いていたところ、何ともいえない麗しい香りが漂うので朝廷に献上したと、奈良時代に完成した日本最古の正史ともいわれる『日本書紀』に述べられています。
この説話がお香の起源と伝わりますが、そもそも仏教界では仏前を清め邪気を払う香焚きの儀礼がありました。お香の起こりは、むしろ仏教が伝来した当時(日本書紀552年説)と考えたほうが自然と思われます。
つまり、お香の発祥は飛鳥の初期と推測されます。聖徳太子を中心とした最初の仏教文化が栄えた時代です。当初のお香は仏様にお供えをする「供香」の儀式に用いられています。

時が流れ、都が平城京に遷都された奈良時代になると、仏教の教えとともに多彩な「香薬」や香の配合法などが日本に渡ってきました。このお香を伝えた人物が唐の鑑真和上です。
盲目の鑑真は、匂いで薬物の鑑定を誤ることが無かったほど香力に精通していたそうです。やがて貴族たちは唐の文化を学び、仏事の供香だけでなく暮らしの中でも香りを楽しむようになっていったと伝わります。
平安時代になると、貴族たちは部屋の全域に香りを漂わせる「空香」や衣服への「移香」などに親しんでいます。厳格な仏事香や儀式香だけでなく夢のような麗しい香りの嗜み方が貴族社会に広まっていきます。そこで用いられていたお香は、主に動物の麝香(じゃこう)や植物の沈香木などを混ぜ合わせた「練香」でした。香料を複雑に調合した練香を炭火でくゆらせ、それらの香りを愛でながら「翫香」へと香りの世界を広げていきました。
貴族たちが好んだお香の文化は次第に世に浸透し、平安王朝の文学として名高い『枕草子』や『源氏物語』などには、お香を優雅に楽しむ風情が語られています。

鎌倉時代になると武士の勢力が台頭しています。同時に禅宗が広まった時代でもあります。
その時代背景により、戦いを前にした武士たちの間では一木の香りを極めようとする精神性が尊ばれ、繊細な感性で香りを吟味する「聞香」の様式が生まれています。
室町時代には東山文化が開花しています。様々な芸道が華やぐ中で茶道や立花とともに香の文化も隆盛を極めています。中期には、お香に関する訓戒や効力などをまとめた『香十徳』が説かれ、お香のもつ精神的な徳目が広く伝播されています。
この香十徳は、茶人でもある禅僧の一休さんがまとめた教示で次なる功徳を教えています。

(1)感格鬼神( 香は、鬼や神のように感覚が研ぎ澄まされます )
(2)清浄心身( 香は、身も心も浄化されます )
(3)能除汚穢( 香は、汚れや穢れを取り除きます )
(4)能覚睡眠( 香は、眠気を払いのけます )
(5)静中成友( 香は、独居の友となります )
(6)塵裏偸閑( 香は、忙しい時も心を和ませます )
(7)多而不厭( 香は、多く有っても邪魔にはなりません )
(8)寡而為足( 香は、少ない量でも香りを放ちます )
(9)久蔵不朽( 香は、長期間の保存でも朽ちることはありません )
(10)常用無障( 香は、常用しても無害です )
一休さんは香十徳により、お香は精神を鎮静させ円満な人格の形成に役立つ「道」であると唱えています。
聞香のしつらえ

日本の香文化は、仏様への「供香」で萌芽し「香薬」として貢献しながら東山文化の「聞香」で花が咲き、室町後期には洗練された形式的な『香道』へと軌跡をたどっています。
この時代に誕生した香道の流派が『御家流』と『志野流』の二大流派です。
御家流は、公家や貴族たちに親しまれた流儀です。和歌や香遊びから優雅さや心の安らぎを得ることを目的とした礼法で「貴族の流派」と呼ばれています。
この香道の流祖が三条西実隆です。お香を和歌や書に融和させ文学の夢をさらに広げ追求しています。香りと文学を結び付けたところが日本独自の香文化の特性となっています。

一方の志野流は、心の鍛錬を目的とし形の作法を通して精神修養を重んじる流儀です。
簡素な中にある厳格な礼法が特徴で「武家の流派」と呼ばれています。
この流祖が志野宗信です。初代宗信から香道を学んだ門人が茶祖の村田珠光でした。その弟子の武野紹鴎は2代目宗温から香道を学んでいます。そして3代目省巴の代になると流儀は高弟の蜂谷宗悟に引き継がれ、千利休は後継者の宗悟から香の道を修得しています。
当時の芸道界では『茶の湯に達する者は、香を聞くは天下無双なり』と評され、両道の会得を王道としていました。つまり、この時代にお香とお茶が巡り合ったのです。
このような経緯で、茶道の香付花月や且座(しゃざ)之式などでは香道の作法が加わります。
すなわち、茶人には香道の嗜みが必携となったわけです。
江戸時代になると、武家をはじめ経済力をもった町人にもお香の文化が広まります。それにより「組香」の創作や多くの香道具が作られ、お香を鑑賞する様相にも躍進がみられます。
一方、中国からは「線香」の製造技術が渡来し、庶民の間でもお線香の使用が暮らしに溶け込むようになり、日本のお香の文化は全国的に広がっていきました。
栄枯盛衰は世の常です。明治の動乱期には古来の芸道は世間から薄れゆく運命をたどっています。やがて明治も落ち着き始めると、再び御家流とともに蜂谷家の志野流をはじめ幾人かの香人も現れ、古式のお香の文化に新たな歴史を刻みながら現在を迎えています。
お香

ところで、私たちは「五感」を働かせ様々な事象に感応しながら日々を暮らしています。
とりわけお香の世界は神秘的です。香りの吟味は「聴覚」の聞くと表現し、香りの種別には甘い辛いなどと「味覚」で表し、私たちの心に不思議な夢想をもたらします。
つまり、すべての感覚を覚醒させ五感を一束にした、いわゆる「シックスセンス」で香りと語り合っているわけです。
この神聖に満ちた香りの領域に心身をあずけると、新たな自分との出会いが生まれてくるように思えてきます。
激動を続ける現代に、私たちの心も揺れ動きます。このような時代にこそ、心を優しく癒す香りの世界にわが身をゆだねるのも妙案ではないでしょうか…。
寒さの厳しい季節の先には、再び温和な春の香りが巡ってくるのです。