わび・さびの世界

2022/11/15

ゆく秋をおしむように野山は静まり、山越えの冷たい風が初冬の調べを届けています。
色鮮やかな紅の葉がサラサラと風に舞い散る姿を眺めていると、心なしか侘びしい切なさを覚えます。そして落葉に取り残された枯れ枝の寂びしい風情には、命の儚さを伝えているようにも映ります。このような季節、心が『侘び寂び』の世界に誘われる思いがしてきます。
便利で豊かな暮らしの中で、私たちの日常には古語となりつつある侘び寂びの心情ですが、不思議なことに、世界では『 Wabi・Sabi 』の精神が注目を集めています。

そこで、わが国特有の感性である『侘び寂び』の美意識に光を当て、いにしえの旅に出かけることにいたします。そこには悠久の時を越えた懐古のロマンが蘇ります。

【 侘(わ)び 】

侘びとは、心細い侘びしい思いから生まれた感情を表す用語です。古くは奈良の『万葉集』の歌に数多く使われた言葉で、主に感傷的な侘びしさに暮れる「恋心」に用いられています。
そもそも、侘びしさとはネガティブな心模様ですが、そのような境遇にわが身が置かれると、日ごろ見過ごしてきた、風のささやきや夜雨の音色、月夜に流れる浮雲などに心が移ろい、豊かな感性が芽生えているのに気付きます。この美意識が『侘び』の本質です。
お茶が説く、侘びしきものを愛おしむ『侘び茶』の精神は、ここに起因しているのです。

お茶の文化は平安末期に中国から渡来し、時と共に和様化していきました。当時、宮廷貴族がたしなむ書院の茶は贅を尽くした高価な美術品の鑑賞にありました。室町中期になると華美なお茶に対し、簡素で素朴なお茶に心を寄せ『侘び茶』を提唱したのが茶祖の村田珠光です。珠光は師と仰ぐ大徳寺の一休禅師から「淡飯粗茶」の教えや、侘び枯れた幽玄美などを学び、佗びの真意はお茶に一脈通じる精神であると説いています。この侘び茶は、見かけは粗末であっても、うわべで判断をせず深層に潜む審美の心を頼りに情愛の息づく世界を追い求めています。つまり、清貧の根底に宿る本質的な豊かさを『美』と捉えています。
例え傷ついた茶碗でも慈悲深く金継ぎにより修復し、やつれた茶筅は供養をして弔います。お茶が敬うものへの侘びしさには、茶具が持つ命への哀れみを大切にする崇高な美意識が存在しています。

小井戸茶碗

その後、珠光の高弟の武野紹鴎は、侘びの精神を「正直に慎み深く、おごらぬ様」と定めています。そして紹鴎の弟子の利休も、侘びとは「清らかで邪念や私心がなく、心や体に穢れがない清浄無垢な禅の世界である」と説いています。やがて茶の道は表面的な美しさにまどわされず、内面的な精神へと向い感性を円熟させていきました。
時を経て、明治の岡倉天心は自著『 The book of tea 』の中で「茶道の根本とは、不完全なものを敬う心であり、このimperfect(不完全なもの)への美意識が、侘びの心である」と語り、世界の人々に生命の尊さを説く日本の侘びの精神を広めています。

【 寂(さ)び 】

誰でも、黄昏に染まる夕暮れに独りぼっちは寂びさがつのります。『寂び』とは、その寂びしさに包まれた孤独な心情を表す言葉です。
人生は、一人で生きるには重すぎます。何ものかの支えが必要です。その支えとなるものが人の情であり自然界の物々であり、それらの支えにより私たちの寂びしい心は救われます。

風景

『寂び』とは、平安の歌人である藤原俊成(ふじわら・としなり)が和歌の優劣を競う評価の基準に『寂び』を定めていました。和歌には、寂びしさが重要な要素でした。
その後、歌人らは宵闇の静けさや寂びしさの中に「新たな美」を見いだしていきました。
和歌四天王の一人である吉田兼好の『徒然草』にも、つぼみの花や散りはじめた残花、雲間の月影などにも、寂びしさの奥に秘められた温かな美意識を歌にしています。
禅の生き方を理想としていた兼好は、寂びの精神は「己を慎み、おごらずに、財にこだわらず、世に貪欲を持たず、素直に生きていれば自然と見えてくる世界である」と説き、歌に表していきました。この寂びの精神が、禅の根本理念と重なることを達観した当時の茶人らは、二語を一連にして「侘び寂び」の精神を茶道の教えにしています。

時に『侘び』と『寂び』の両者は混同されがちですが、しかし似て非なるものです。
精神性を深く追求する『侘び』に対して『寂び』とは深層の内面的な本質が、湧き出る泉のように表面に現れてくる、そのような心の温もりの変化を「美」と捉える概念です。

この寂びの精神は、室町時代になると特に俳諧の世界で重要視されています。そして寂びの精神をさらに高揚させていったのが江戸の松尾芭蕉でした。芭蕉は寂びの境地を得るために巡礼のごとく漂泊の旅を続けながら、旅路に出会う心象風景への慕情を歌にしています。
本来、寂びしさは望ましからざる暗い心情です。しかし、その寂びしさの本質は明るく豊かな境地へと心を導くものだと、芭蕉は「寂び観」の見識を高めていきました。
『 初夏は 夕も朝の ここちする 君を見ねども 逢うここちする 』
この歌は、明治から昭和の動乱期に活躍した与謝野晶子(39歳)が、困窮した暮らしの中で、夜な夜な綴った晶子百選の一首です。寂び心を秘めた哀愁の漂う座右の名句です。

和歌

日本の歴史を振り返ると、疫病や天乱、飢餓などと苦難の連続でした。明日の見えない暮らしの中で辛い毎日を生き抜くためには、自らの内なる侘びしさや寂びしさの価値観を転換しなければ生きてはいけません。この苦しさから逃れるのではなく、あえて負の感情を許容し、不安を肯定すべき心境へとわが身を導くしか道はなかったのです。すなわち侘び寂びの精神は、厳しい日々を営む民衆の暮らしの中に息づいていた意識です。つまるところ民衆がたどってきた過酷な歴史が、侘び寂びの精神を日本の知的風土として育てあげ、心中の不安を勇気に変える日本特有の美意識となっていったわけです。激しく移ろう現代に、道なき道を切り拓くヒントが『侘び寂び』の精神にあるのではと、近ごろ思えてくるのです。