秋はとまらぬものにぞありける

2022/11/11

花すすき まねく袂(たもと)は あまたあれど 秋はとまらぬ ものにぞありける  藤原元真(もとざね)

 いまでも其処此処に、秋らしい姿を見せてくれる「ススキ」。たわわに実る稲穂に似ていることからも、五穀豊穣を祝う意味でお月見や祭事では欠かすことのできない花です。誰しもが、名前を聞いただけで姿を思い浮かべることができるのではないでしょうか。
 往古、中が空洞の稈(かん)を持つ草は茅(かや)と呼ばれ、茅葺(かやぶき)屋根や家畜の餌にと利用されていました。そのため、村落の近くには、定期的に茅を刈り取るための茅場(かやば)があったといいます。その茅の一つがススキでした。しかし、茅の需要が減ることで、ススキ原は雑木林へと姿を変えてゆきます。自然界の植物遷移の過程で、ススキの群生は野原としては最後の姿であるといい、そのまま放置しておくことで、ススキが樹々を招き入れるのだと。

 藤原元真は、近くの茅場を眺めていたのか、はたまた山野の雑木林になる前のススキ原であったのか。群生するススキが風に穂をなびかせている姿は、着物の袂から手招きしているようにも見える。あまりにも手招きが多いために、ホラー映画にも出てきそうな場面でもありますが、ここは、秋晴れの下での清々(すがすが)しい光景を思い描いていただきたい。
 ススキがおいでおいでと誘っているのは、雑木林をなすための樹々ばかりではありません。決して華やかではない光景に、ある種のもの侘(わび)しさを感じ取った風流人が手招きに応じる。その風情を楽しむために彼の地を訪れたのか、はたまた通りすがりなのか。
 さらに、ススキが手招きしているのは、他にもあると藤原元真はいう。そう、秋という季節を忘れてはいけない。そよそよとそよぐその姿は、秋風を楽しんでいるかのようにも思えるもの。少しでもゆっくりと秋を満喫したいと思うのは、我々だけではなくススキもまた同じであると。
 手招きされた人々はススキに魅せられ、ついつい足を止めてしまう。今ほどに時間に縛られていなかった時代にあれば、心行くまで鑑賞したことでしょう。夕暮れもまた格別であり、月が姿をみせれば寒さに身震いするまで居座ったかもしれません。それにもかかわらず、秋という季節は、そ知らぬ素振りで立ち止まることなく足早に過ぎ去ってゆく。なんという無慈悲なことか。
 立ち止まらない秋だからこそ、刻一刻と姿を変える美しさに魅せられ、去秋の思いが募るもの。少しでも「もののあはれ」を堪能したいとおもうからこそ、強調の係り結びを意味する「ぞ」~「文末の連体形」で詠い終わっている。藤原元真が自らに言い聞かしているのか、はたまた我々に教えてくれているのか…秋はとまらぬものにぞありける。

ススキ1

 古人は、季節は風が運んでくると考えていました。菅原道真の「東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」、菅原道真は春の東風が花の開花を促すのだと詠っています。風は春夏秋冬、東西南北を問わず日本列島を吹き抜けます。しかし、春は東から、秋は西から風に運ばれてやってくるのだと。
 この理由は、以前に「秋風の色は何色?」という季節のお話として、投稿したものを参照ください。
 ということで、黄葉・紅葉も西の風に促される。ススキは西の風になびいている。オギも同じ風になびいている…オギ?
 これほどススキにそっくりな植物はないのではないでしょうか。季節同じく花咲かすため、区別するのが難しい…ともに日本に自生している植物ですが、ススキは山野を好みオギは湿地を好みます。とはいえ、混在していることもしばしば。よくよく地面からの生え際を眺めると、ススキは株を形成していますがオギは独立して稈(かん)を伸ばす。
 そのため、平安時代には屋敷のまわりに溝をめぐらし、水を引き込み、オギを植栽することで垣根としたともいいます。ススキであれば水溝は必要ないのですが…頑強な株をなすために、垣根に仕立てるなど論外で、体裁よく管理することが極めて困難なのだとか。

目に見えぬ 風のきたらば つげよとて 植ゑてし荻(おぎ)の 契(ちぎ)りたがへぬ  源頼政


ススキ2

 風が季節を運んでくるのであれば、どんなささやかな風であろうが見逃したくはないものです。風流人ともなれば、誰よりも先んじて秋の到来を知り、「もののあはれ」を余すことなく感じ入りたいと思うものなのでしょう。源頼政は、「秋の風が訪れた時に教えておくれよ」とオギと言い交しながら、自邸にオギを植えた。
 そして、オギが手招きをするように、その約束を果たした。「そよそよ」とそよぐオギの姿に、頼政は問うた「待ち焦がれた秋が訪れたか?」、そしてオギは答える「そうよそうよ」と。

 あまりにも似ている姿の「ススキ」と「オギ」。漢字では、似ても似つかぬ「薄/芒」と「荻」。おや?「荻」にはそっくりな漢字「萩」があります。この「萩」は「ハギ」と読み、草ではなく樹ですが、秋の七草の筆頭に挙がるほどの秋を代表する花。
 万葉集に収めらている山上憶良のこの歌が基になります。「萩の花 尾花(おばな)葛花(くずばな) 撫子(なでしこ)の花 女郎花(おみなへし)また藤袴(ふじばかま) 朝顔の花」。秋の七草に2番目の「尾花」はススキのことで、オギの名前はありません。あまりにも似すぎているために、万葉の時代にはススキとオギは混同していたのではないと思うのです。時下り、平安時代ともなると、しっかりと区別がされています。

秋はなほ 夕まぐれこそ ただならぬ 萩(おぎ)のうはかぜ 荻(はぎ)の下露  藤原義孝


荻(おぎ)

 「ゆふまぐれ」は「夕間暮れ」と書き、夕方の薄暗いこと。秋は夕暮れごろが比類のないほどに美しいものである、なかでも「荻の上風」と「萩の下露」は風光の極みであるという。秋風が、オギの上をそよそよと吹き抜けてゆく。ハギの葉の裏は、アサガオの葉のように細かな毛がびっしりと生えています。そのため、水玉は葉の面ではなく、その小さな毛の上にのるようにくっ付くために、美しい玉となる。露は冷え込んだ朝の自然現象であることを考えると、藤原義孝は秋雨の上がった夕暮れ時を詠ったのでしょう。
 秋を代表する花である「荻」と「萩」を使い分け、さらに秋らしい風情を「風」と「露」として表現する。夕暮れ時だからこそ、秋の情緒が溢れる光景の中で、荻の手招きに足を止めたときに、ふっと肌に感じる涼やかな風。「涼風(すずかぜ/りょうふう)」というと夏の季語ですが、「新涼(しんりょう)」や「初涼(しょりょう)」は秋の季語です。そして、夕暮れならではのやわらかい茜色に染まった太陽が萩の下露を照らし、まさに玉(ぎょく)の如くに輝いている。
 ここにススキは姿をみせない…

荻(はぎ)

 季節の移ろいの機微を察するかのように、花は順に咲き誇り散ってゆきます。秋の花であっても、花笑う頃には違いがあります。思いのほか早く花開くのは、ハギの花。小さな花が一斉にではなく順を追って咲いてゆくので花期は長く、晩夏から初秋にかけてです。そして、初秋にオギが小さな小さな花を咲かしていき、その後にススキが引き継ぐかのようです。

花すすき あすは冬野に たてりとも けふはながめむ 秋の形見に  源顕仲


花すすき

 2022年11月7日に「立冬」を迎え、暦の上では冬が始まりました。鴨長明は方丈記の冒頭に、こう書き綴りました。「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず~」と。そう、時の流れは途絶えることはなく、戻ることもありません。しかし、どこかで区切りを付けなくては、人生のメリハリがなくなってしまうもの。一年を大別して四季とした、古代賢人の発案は今でも十分に生きており、この考えが人生を豊かにしている。
 こと日本においては、四季折々の変化が著しいこともあり、迎えし季節の準備をする上でも、四季という感覚は衣食住のうえでは欠かせません。冬や夏をのりきるための準備のタイミングを教えてくれることもあり、安心・安全を与えてくれるともいえます。
 「立冬」を境とし冬が始まります…前日までは秋でした。生活するうえで、大きく変わることは何もありませんが、季節が変わります。この変化は、我々は迎えし厳しい寒さを乗り切るための準備を行うことを示唆してくれる。だからこそ、身の締まる思いがするのでしょう。源顕仲は、立冬前日に「花すすき」に語りかけたのでしょう。秋が終わり、明日からはあまえは冬野に立つことになる。今日はしっかりとおまえの姿を目に焼き付けておこう、秋の形見に…

 秋を代表するそっくりな花を紹介しながら、駆け足で秋を駆け抜けてみました。秋はとまらぬものにぞありける…そうなのです、秋が我々をそ知らぬ顔で過ぎ去るのと同時に、秋の食材もまた待ってはくれません。心残りのないよう、秋の味覚を存分にお楽しみください…秋の形見に。