利休の懐石料理

2022/07/19

近年、海外では日本食がブームを呼んでいます。なぜ人気を集めているのでしょうか?
そこで、日本の伝統食である和食の魅力を訪ねる旅に出かけることにいたします。

渓谷
私たちが愛する日本には、美しい春夏秋冬の四季が巡ります。
果てしなく湧きでる泉は清らかで、野山の草花は華やかに萌えさかり、野鳥たちは深緑の中で楽しくさえずり、清流の川や青い海には魚たちが群れをなしてたわむれています。
日本の食文化は、このように豊かな自然が息づく風土の中から生まれました。
太古の昔から、わが国には多くの神々がここかしこに住むと語られています。
その神の名が『自然』です。
大和民族は、自然界の生きものすべてに精霊が宿るとうやまい、大いなる自然の営みを崇拝しながら平和に暮らしてきました。そして、私たちの命は自然界に生きるそれら動植物の『精なる命』を食することで、わが身が健やかに生かされているという観念を享受しています。この恵愛なる精神が日本の食文化の根幹となっています。
食とは単に空腹を満たす「物」ではなく、あらゆる生物の「命」を食しているのです。そのことに思いをはせれば、自然破壊や食品ロスの問題はこの世から消えていくことでしょう。

稲穂
ところで、日本食の歴史に大きな出来事がありました。それは奈良時代の肉食禁止令です。この発令により、わが国は明治の解禁に至るまでの約1200年間、肉食料理が禁止となっています。つまり日本の食習慣が大きく変容を遂げています。そのために、日本食は魚貝類の動物性タンパク質と米や大豆などの植物性タンパク質を補給するという、世界に類をみない健康寿命に効果の高い特異な食文化が形成されています。
この肉食禁止令は、旧仏教の殺生戒に基づくものでした。
仏教では牛・馬・犬・鶏・猿という五畜の肉食を禁止しています。その理由は、牛は田畑を耕します。馬は人を乗せて働き、犬は忠実な番犬として努めます。鶏は時を知らせ、猿は人に似ているからだとの仏教の教えによるものです。この戒めを大切にした天武天皇が、肉食の禁止令を国民に発布しています。この法を守り、神事祭礼では五穀の神饌(しんせん)料理、平安時代には肉食を除いた儀式的な朝廷料理、室町時代には華やかな大饗料理が生まれています。その料理が略され供応料理が現れ、やがてこの料理から派生した武家礼法による本膳料理が確立されました。さらに武家の食礼を簡略したものが袱紗料理となり、この料理法が現在の会席料理へと発展したといわれています。私たちの日本の伝統食は、神仏にまつわる料理として日本特有の様々な食様式が生まれています。その一つに、お茶の懐石料理があります。
会席料理と懐石料理とは、同音異義で世界観が異なります。
この懐石料理の基礎を創作したのが千利休です。
禅において、食にかかわる作法全般は「修行」です。料理の準備や調理に始まり、食べること、後片付けなど食行動の一連を通じて自己を見つめる行としています。
一例に、食事の際はペチャクチャと音を立てず静かに食べることを定めています。それは、飢餓道に通じる教えです。飲食をすることが出来ず飢えに苦しむ鬼たちが、人の食べる音に敏感で、ねたむ心を呼び起こすからだと伝わります。

バランス
歴史から学ぶことには限りがありません。日本には古代中国の自然哲学である「陰陽五行」という伝統的な思想があります。日本食にもこの教えが守られてきました。
陰陽五行とは、それぞれの事象が持つエネルギーのバランスを調整する理論です。バランスの取れた状態こそが最良であると説き、食文化にもこの思想が取り入れられています。
五行では「甘い・辛い・酸っぱい・塩辛い・苦い」の五味と、「生・焼く・煮る・蒸す・揚げる」の五調、そして「青・赤・黄・白・黒」の五彩という三種の五法を修めることを料理の基本としています。なお、懐石料理では五味に加え「淡味」にもこだわりをもっています。この淡味とは、素材の持ち味を生かすために薄味にする調理の計らいです。
そして陰陽とは「主人とお客さま」とのむつまじい和合、つまり「おもてなし」のこころを幸ととらえ、美食を追求する茶懐石の根本理念としています。
歴史を振り返ると、織田信長はポルトガルの宣教師ルイス・フロイスに布教を優遇し、キリスト教に寛容でした。その信長に仕えた茶匠の利休も、先輩の今井宗久などの影響を受け、新しい思想のキリスト教を修得し、禅とキリスト教の宗教の一体感を見いだしていました。そのような背景から、利休により茶の湯が「茶の道」になっています。
世に知られるキリシタン大名の高山右近や織田有楽斎などの茶人が、利休の直系の高弟になっているのをみても、利休の茶の道にキリシタンの影響が及んだことがうかがえます。
『食』という文字は「人」と「良」の2つの文字で表されています。まさに食は人を良くする幸せの証しです。調理人は、伝統に培われた日本食の真意を守りながら、自然界の旬味と食彩を真心により融和させ、世界の食卓に日本の食文化を届けています。

ハート
近代の日本料理は、世界のいろいろな食材に囲まれた豊かな食を謳歌しています。その中で世界の人々が自然の尊さに思いを向け始めた現代に、食に対する命の尊厳にこころを寄せる日本の伝統食(和食)が注目を集めています。
2013年、和食がユネスコの無形文化財として世界から称賛されたのも、日本食が持つ自然への愛しみをベースに、四季折々の旬味を盛り合わせておもてなしをする調理人の巧みな心技の功労によるものです。その隠し味が『愛』なのです。

時に、宗教は人々のこころを規則や戒律で束縛し、分断までも招きます。しかし禅であろうが他教であろうが偏る「宗派」とは異なり、私たちに宿る普遍的な「宗教心」は、こころの安らぎを求める人類共通の精神論です。さぞかし利休の懐石料理にもキリシタンの思想が調和していたに違いありません。そこで新約聖書コリント13章の一節を添えておきます。

『愛は寛容にして慈悲があり
愛はねたまず、愛は誇らず、高ぶらず
そして非礼をおこなわず、おのれの利を求めず
いきどおらず、人の悪を決して思わず
不義を喜ばずして、誠の喜ぶところを喜び
おおよそ事を忍び、おおよそ事を信じ
おおよそ事を望み、おおよそ事を耐えるなり
愛は、いつまでも絶えることなし』

和食が国境や宗教を超えて世界の人々に愛される理由が、ここに見えてくるようです。