言の葉もあはれおよばぬ撫子の花 ─後編─

2021/09/21

これからご紹介するナデシコの花の歌は、どのナデシコを詠ったものなのか。あれやこれやと想い描きながら読んでいただきたいと思います。

われのみや あはれと思はむ きりぎりす 鳴く夕かげの 山戸撫子  素性(そせい)
われのみは あはれともいはじ 誰もみよ 夕露かかる やまとなでしこ  式子内親王
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素性は、山近くに隠棲していたのだろうか。自らの屋戸(やど)に植栽したナデシコを、あえて「山戸撫子」と表記することで、山里の夕暮れの寂しさを表現しているかのよう。昔々の「きりぎりす」は、今でいうコオロギのことをいうらしい。蝉の「もろごゑ」も止み、コオロギのチリチリチリという声が心地よく耳に響く。鳴き声の方へと目を向けてみると、夕陽に照らされて大和撫子が咲いているではないか。なんという可憐な美しさだろうと思うのは自分だけではないか、と自問している。
夕露は朝露と違い、空気中の水分が結露したものとは違うため、式子内親王は夕立の後の光景を詠ったのでしょうか。ナデシコの花を可憐だと思うのは私だけではありません!と喝破する。皆に見てほしい、ナデシコの花に残る雨粒に夕陽が射したときの美しさを。

二人にこれほどの賛辞をいただければ、大和撫子も本望なのではないでしょうか。この大和撫子が、石竹でも常夏でも、それぞれの詠い上げた光景に遜色はなく、美しいものです。「ひらがな」が誕生して歴史が浅いにもかかわらず、31文字でここまで表現する詠い手の自然の機微を捉える感性は、今でも十分に共感できてしまうものです。

和歌では、31文字という世界に自らの想いの丈を反映させることに鎬(しのぎ)を削りました。日本語として確立して間もない時期だからこそ、歌人たちは「自然の美を、自分の気持ちを、いかに言葉で表現すべきか」に精力を注いだともいえます。彼らは大いに悩み、言葉を選び、または創作し、文字としてしたためたはずです。切磋琢磨の中で生まれる美しい描写の数々は、千年経った今も、なんらくすむことはありません。我々は、その詠者の想いのこもった言葉の力を感じつつ、各々の人生を反映した光景を脳裏に描きながら読むことができます。
かつて、絵はあるものの抽象的なものであり、写真のように細部までありのままを写す術はありませんでした。今は、カラー図鑑やネット検索という情報が溢れている時代です。考えようによっては、当時に詠者がどのような光景を眺め詠ったのかを想像しやすくなったともいえます。今なお輝き続ける和歌を知ることで、便利になり過ぎたために失った何かを、我々はそこに見出すことができるのではないでしょうか。

冒頭で紹介した清少納言は、枕草子112段でこう我々に教えてくれています。三大随筆を執筆しただけの彼女の感性には、感服いたします…

絵にかきおとりするもの、なでしこ。かきまさりするもの、松の木。

確かに!屏風絵や掛け軸には、見事な松の木が描かれていても、可憐なナデシコの花は描きようがないもの。それに加え、このような思いが込められているような気がします。簡単に手に入る情報を鵜吞みにせず、そのものを見なさい。樹形が美しいとはいえ朴訥な松の姿は想像しやすいもの。しかし、世界中の人々が愛してやまない「花の姿」は、文字では表現しがたいほどに美しく、画像では感じ取ることのできない、花そのものがはなつ貴品があるものです。
「知る」ことと、「識(し)る」ことは違うのですよ、そう教わった気がします。やはり、画像で思うだけではなく、自分で足を運び、何かを感じ取りなさいという。今は外出が憚(はばか)れますが、そう遠くない日に、「識る」ために散策に出ることを許されることと思います。今も昔も変わらぬ、太陽や月を感じながらの散策も一興なのではないでしょうか。

江戸時代前期の歌人であり歌学者でもある松永貞徳(ていとく)は、清少納言が枕草子を読解した後なのでしょう。このような一首を書き遺しています。

絵にかきて おとるのみかは 言の葉も あはれおよばぬ やまとなでしこ  松永貞徳
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絵で花の美しさ表現することに加え、言葉でもまったく実物には遠く及ばない…おっしゃる通りでございます。余談ですが、下句が「やまとなでしこ」で終わっています。山上憶良を先に覚えたこともあるのかもしれませんが、ここを「撫子の花」とするほうが個人的には可愛らしく終えることができるような気がしています。そう考えると、この「やまとなでしこ」が、なにやら意味深長なものに感じてしまうもの。皆様はどう思われますか?