奥飛騨の熱血カウボーイ田中肇さんの牧場奮闘記

2021/05/07

皆さんは「感動するほど美味しい肉」を食べたことがありますか?

岐阜県の北部に位置する、奥飛騨田中牧場。ここで生産される牛肉は小ザシと呼ばれる細かい霜降りの口の中でとろけるような柔らかさと甘みのある脂が特長です。その味への評価は高く、首都圏のレストランでも取り扱われており、ファーストクラスの機内食に採用された実績もあります。
田中肇さんは高品質の飛騨牛の生育を手掛けているこの牧場の2代目代表です。かつては畜産業を“格好悪い”と思っていたそうですが、学生時代にその考えが大きく変わりました。
アメリカ・ノースダコタの広大な牧場のファームステイで目にしたカウボーイたちの仕事への情熱、高い誇りを持って働く姿に感動。田中さんにとって、“格好悪い仕事”が「人生をかけることのできる仕事」となったのです。
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アメリカの牧場での感動体験によって人生に新たな目標はできましたが、欧米の広大な牧場と規模で競ったところで、小さな日本の牧場にはどうしても勝ち目は無い。でも日本で、そして飛騨でしか生み出せない上質な牛を育てたい。そのためにはどうすれば良いのか。何をもって世界で認めてもらうのか。田中さんの挑戦はここから始まりました。

そしてたどりついた答えが種付けから出荷までの一貫生産でした。
肉牛の生育は一般的に、種付けから出産そして子牛を8~9か月齢、体重280~300kg程度まで育てる「繁殖」と、その子牛を購入して28~30か月齢、体重800㎏前後に育て出荷する「肥育」の2つの工程を別々の牧場が行います。大規模農場では一貫生産されることもありますが、キャッシュフローという経営上の課題のために、多くの農家がこのやり方を躊躇するそうです。しかし、田中さんは、種付けから出荷までの全過程においてこだわり、丁寧に自ら監督し、安定した品質の肉牛を育てたいと考えました。そのために経営者として覚悟を決め、田中さんは迷わず、それまでの「肥育」のみの運営方法から、一貫生産できる体制に改革。施設や設備を整えていきました。

種雄牛の血統もこだわりぬいて選び、飼育過程にも細心の注意を払います。
子牛には温かいミルク、その後は一番刈りの牧草や、大豆粕、コーン、ふすまなどを月齢に適した飼料を与えて体を大きくしていきます。また、味に大きな影響を与える脂肪の分化が活発になる時期と成長する時期には、特に栄養成分を計算した配合での飼料作りをし、定期的に血中ビタミンA濃度、コレステロール値、肝機能などを測定する血液検査の結果で微調整も行います。

これだけでも田中さんの真摯な姿勢が伝わってきます。しかしここからが
彼の凄さ、熱い本気の取り組みです。
田中さんは言います。「牛は大切なゲスト。私たち従業員はホテルのスタッフである」と。
飼料のコントロールのみならず、牛たちの居心地の良さ、「牛たちの幸せ」を考える。
モノではなく生きている“生命”である牛を敬い、効率のみを考えるのではなく牛の気持ちを大切にし、寄り添い、牛にとって最高の環境を用意する。「奥飛騨田中牧場で過ごす出荷までの30ヶ月は、牛たちにはできる限り優しく接し、心身ともに健やかに育てたいのです。」田中さんはそう言います。

牛舎や柵によって細かく分けられた部屋を牛たちは成長の過程によって用意され、適正に応じて配属された従業員が専属の担当として、成長過程に合わせたきめ細かい世話を行います。それぞれが自分の担当する牛の食事・排便・健康状態を把握し、冬は温水を与えたり、お腹をこわせば餌の配合を変えたりします。牛たちにストレスを与えず、穏やかに過ごせるように動作一つにも細心の注意を払います。細部にわたり心の行き届いた世話をします。また、牛たちの健康状態・発情期・出産予定・血統などの情報は、田中さん自作の管理ソフトによりデータ管理され、従業員全員に共有されます。蓄積されているデータと、きめ細かい現状観察とのすり合わせにより、小さな異常や問題を見つけることができ、トラブルの予防が可能になりました。そして問題については職員全員で集まって考えます。全員で試行錯誤しながら改善していきます。まさに牧場一丸となって取り組んでいるのです。

こうして手塩にかけて大事に育てた牛たちは、手をかければかけるほどやさしい味に ── サシがきめ細やかでオレイン酸がたっぷり含まれた、とろけるような口どけと甘く深い味わいになるそうです。
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オリーブオイルの主成分でもあるオレイン酸には、たくさん食べても胃もたれがしないという優れた特徴もあります。
サシの入り方やオレイン酸のバランスなどで、出荷の際の品質評価が決まるといいます。
やさしい味の牛、すなわち愛されて大切に育てられた牛ほど評価され、高価格での買い取りとなる。
そして良い肉は良いシェフに出会い、美味しい料理となり、食した人々に忘れられない感動を与える。
──これこそが牛たちの命に最高の価値を与えることなのではないか。
牛たちの生命と常にかかわってきた田中さんは、またこうも考えます。

「人生は短く、だからこそ一生懸命生きたい」と。
生命の大切さを日々身近に感じながら生きるからこそ強くそう思うのです。

田中さんの挑戦は、今も終わることなく続いています。
牛たちの生命の価値、そして自らの生命の価値を高めるために。