花となりなさい。

2024/03/18

好奇心の多感な幼子から、事の次第を「なんで?どうして?」と尋ねられ、戸惑うことがあります。どのように答えたらよいか頭を抱えるばかりです。教えることの難しさを幼子から事の真意を逆に学ぶことになります。教えることとは「学び」に通じる一本の道なのですね。

こども

その昔、能楽を極めた世阿弥の聞書『風姿花伝』には、芸道の継承のあり方を弟子の年齢に応じて指南する訓示が著述されています。さて、この相伝書が現代の教え方に一脈相通じるものと覚えるのは私だけでしょうか。そこで、興味深い古式伝書を訪ねることにいたします。
お能とは、風雅な神楽と尊ばれ今も変わることなく私たちを幽玄の世界へといざないます。その起源は推古天皇の飛鳥時代にさかのぼります。皇太子となった聖徳太子は天下安泰と人々の悦楽のために66種の遊宴を創作し、その演舞を申楽(さるがく)と呼んでいます。以来、花鳥風月の景趣を取り入れながら大和(奈良県)の春日神社や近江(滋賀県)の日吉神社などの神事に申楽の舞いが奉納され、その演者たちが代々語り続けていきました。
やがて、観阿弥が申楽から新しい能楽の姿を築き上げ、舞いの演出や芸論を息子の世阿弥に伝えています。世阿弥は、父の観阿弥から学んだ芸道の教えを『風姿花伝=年来稽古条々』にまとめ上げ、稽古への心得や弟子への教えのあり方を現在に伝え遺しています。

能楽

書にいわく
お能は古式を真似るにしても新風を愛でるにしても、その内容を決して卑しいものとしてはいけません。その姿は幽玄に、すなわち言葉・音曲・舞い・もの真似など、すべてに美しい柔和な姿を大切にして芸道、人道と考えるべきです。そして人々の心に喜びと安らぎをもたらす『花』となりなさい。そもそも花とは万木千草において四季折々に咲くものです。その時を得て咲く珍しく美しい姿が人々に愛される理由です。能楽も人々の心の「機」をわきまえて珍しく美しい姿を伝えれば、すなわち愛される花となるのです。
その道に入門するのは

【7歳頃】として、その子にはむやみに所作の善し悪しを教えぬように、ただただ自然に任せなさい。幼心を傷つけ稽古を嫌な気持ちにさせないように教えることが大切です。
【12歳頃】になると、だんだんと声の調子も良くなりお能も理解してきます。順序だてて、教える数を増やしなさい。そもそも子どもの姿自身が本質的に幽玄なものです。あまり細かいことを言わずデリケートに万事無理のない稽古を続けなさい。決して生涯の芸が、この歳で決まるわけではありません。気あせりはいけません。
【17歳頃】は、人は難しい時期に入ります。幼少の幽玄さは薄れ、体つきも変わり声も失っていきます。この時期は人さまからどのように言われても、神様に願をかけてこの道を成就しようとする勇気を持ち、朝夕に命を懸けて稽古に励むことが肝要です。一生の浮沈の分かれ目の時期でもあるので人さまに笑われても稽古を続けなさい。ただし、あまり稽古にこだわり過ぎると心身に良からぬ癖を付けることにもなるので注意が必要です。
【25歳頃】は、生涯としての芸道が確立されてくる時期です。体も声も落ち着き人々もその芸に目を見張るようになるでしょう。しかし、これは一時期の珍しい花を評価されているに過ぎません。そのことに気付きなさい。そして、この時期にこそ『初心』を忘れることのないように強く自分の姿を戒めなさい。世間の良い評価に心を向けることなく、むしろこの時期は、その道を会得した先人に事の深部を見聞きして稽古を増やしなさい。人々が評価する花は一時的な珍しさによるものです。ややもすれば人々の心からその花は消えていきます。決して、真実の花ではありません。
【35歳頃】は、お能も全盛の期に至ります。天下に許される名望も得られるでしょう。しかしいかに上手とも未だに真の花になっていないことをつくづく知りなさい。その自覚が無いとやがてお能の姿は下がります。よくよく深く考えねばならない慎むべき時期にあります。
【45歳頃】は、お能の舞い方も今までの姿と一変します。たとえ天下に許され、また道の法を得たとしても自欲を捨て良き後継者を育てなさい。むやみに芸を人前に出さず、むしろ控えめにして後継者を表に出すことが大切です。自分は脇役にさらりと対応していきなさい。なお若い花は面を付けずに直面(じきめん)で舞えますが、貴方はこの時期に至っては面を付け歳に合った芸態をしなさい。わが身を知る心こそがその道を体得した真の花の姿です。
【50余歳頃】は、おおかた何もしないという以外に舞い方はありません。亡き父の観阿弥は52歳で他界しましたが、その2週間ほど前まで私(世阿弥)と一緒に駿河(静岡県)で華やかなお能を舞っていました。父は24歳の私にほとんど初心の芸を譲り、脇で無理のない芸を少な少なに舞っていました。その父の姿が私の芸にいっそう彩りを添えて、いよいよ見事に人々の目に映り、父の姿は美しさに賞賛されました。

お能は枝葉も少なく、また老木になるまで花は散らさずに残すものです。そして枯れて散るからこそ美しく咲くのです。だから人々の心に美しく伝わるわけです。その老木なる父の道なる花をまの当たりに魅せられ、人々の感動と喜びに満ちた真の花の姿を知らされた私は、貴方にその理を教えます。まず、この道に入らんとする人は、非道をおこなうことなく遊女に狂うことなく賭博や大酒の三重戒の掟を厳しく守り、稽古はたゆみなく、うわつく良い話には耳を貸さずに真の花なる道に励みなさい…云々。

はな

室町時代の世阿弥の教えは、時を超えて安土桃山の利休の心にも届いています。利休高弟の山上宗二によれば利休の『茶湯の稽古条々』には15歳から68歳に及ぶ学ぶべきお茶の風態と修業の心得が語られています。お茶の作法にも能楽の教えが深く融和している証です。
現代は、急速なデジタル化による産業構造の変化や、気候変動による自然災害の激甚化など将来の予測が難しい時代です。その難題解決の一助に柔軟な心をもって芸術や歴史などから学びを横断的に深め、未来の進むべき道を見いだそうとする『リベラルアーツ(教養諸学)』への関心が世界的に高まっています。いみじくも古典の教えには激しい風雨にもめげず凛とした恋に萌える『花』のような姿を求める道筋を教えているように思えてきます。